日蓮大聖人御書
ネット御書
(聖愚問答抄上)
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大日経金剛頂経等の無量の経の頂に此の経は有るべしと説かれたるを弘法大師は最在其下と謂へり、釈尊と弘法と法華経と宝鑰とは実に以て相違せり釈尊を捨て奉つて弘法に付くべきか、又弘法を捨てて釈尊に付奉るべきか、又経文に背いて人師の言に随ふべきか人師の言を捨てて金言を仰ぐべきか用捨心に有るべし、又第七の巻薬王品に十喩を挙げて教を歎ずるに第一は水の譬なり江河を諸経に譬へ大海を法華に譬へたり、然るを大日経は勝れたり法華は劣れりと云う人は即大海は小河よりもすくなしと云わん人なり、然るに今の世の人は海の諸河に勝る事をば知るといへども法華経の第一なる事をば弁へず、第二は山の譬なり衆山を諸経に譬へ須弥山を法華に譬へたり須弥山は上下十六万八千由旬の山なり何れの山か肩を並ぶべき法華経を大日経に劣ると云う人は富士山は須弥山より大なりと云わん人なり、第三は星月の譬なり諸経を星に譬へ法華経を月に譬ふ月と星とは何れ勝りたりと思へるや、乃至次下には此の経も亦復是くの如し一切の如来の所説若しは菩薩の所説若しは声聞の所説諸の経法の中に最も為れ第一とて此の法華経は只釈尊一代の第一と説き給うのみにあらず大日及び薬師阿弥陀等の諸仏普賢文殊等の菩薩の一切の所説諸経の中に此の法華経第一と説けり、されば若し此の経に勝りたりと云う経有らば外道天魔の説と知るべきなり、其の上大日如来と云うは久遠実成の教主釈尊四十二年和光同塵して其の機に応ずる時三身即一の如来暫く毘盧遮那と示せり、是の故に開顕実相の前には釈迦の応化と見えたり、爰を以て普賢経には釈迦牟尼仏を毘盧遮那遍一切処と名け其の仏の住処を常寂光と名くと説けり、今法華経は十界互具一念三千三諦即是四土不二と談ず其の上に一代聖教の骨髄たる二乗作仏久遠実成は今経に限れり、汝語る所の大日経金剛頂経等の三部の秘経に此等の大事ありや善無畏不空等此等の大事の法門を盗み取つて己が経の眼目とせり本経本論には迹形もなき誑惑なり急ぎ急ぎ是を改むべし。
 抑大日経とは四教含蔵して尽形寿戒等を明せり唐土の人師は天台所立の第三時方等部の経なりと定めたる権教なりあさましあさまし、


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