日蓮大聖人御書
ネット御書
(諌暁八幡抄)
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譬へば提婆達多が大覚世尊の御袈裟をかけたるがごとし、又猟師が仏衣を被て師子の皮をはぎしがごとし、当世叡山の座主は伝教大師の八幡大菩薩より給て候し御袈裟をかけて法華経の所領を奪ひ取りて真言の領となせり、譬へば阿闍世王の提婆達多を師とせしがごとし。
 而るを大菩薩の此の袈裟をはぎかへし給わざるは第一の大科なり、此の大菩薩は法華経の御座にして行者を守護すべき由の起請をかきながら数年が間法華経の大怨敵を治罰せざる事不思議なる上、たまたま法華経の行者の出現せるを来りて守護こそなさざらめ、我が前にして、国主等の怨する事犬の猿をかみ蛇の蝦をのみ鷹の雉を師子王の兎を殺すがごとくするを一度もいましめず、設いいましむるやうなれどもいつわりをろかなるゆへに梵釈日月四天等のせめを八幡大菩薩かほり給いぬるにや、例せば欽明天皇敏達天皇用明天皇已上三代の大王物部大連守屋等がすすめに依りて宣旨を下して金銅の釈尊を焼き奉り堂に火を放ち僧尼をせめしかば天より火下て内裏をやく、其の上日本国の万民とがなくして悪瘡をやみ死ぬること大半に過ぎぬ、結句三代の大王二人の大臣其の外多くの王子公卿等或は悪瘡或は合戦にほろび給いしがごとし、其の時日本国の百八十の神の栖給いし宝殿皆焼け失せぬ釈迦仏に敵する者を守護し給いし大科なり、又園城寺は叡山已前の寺なれども智証大師の真言を伝えて今に長吏とがうす叡山の末寺たる事疑いなし、而るに山門の得分たる大乗の戒壇を奪い取りて園城寺に立てて叡山に随わじと云云、譬へば小臣が大王に敵し子が親に不幸なるがごとし、かかる悪逆の寺を新羅大明神みだれがわしく守護するゆへに度度山門に宝殿を焼る、此のごとし、今八幡大菩薩は法華経の大怨敵を守護して天火に焼かれ給いぬるか、例せば秦の始皇の先祖襄王と申せし王神となりて始皇等を守護し給いし程に秦の始皇大慢をなして三皇五帝の墳典をやき三聖の孝経等を失いしかば沛公と申す人剣をもつて大蛇を切り死ぬ秦皇の氏神是なり、其の後秦の代ほどなくほろび候いぬ此れも又かくのごとし、安芸の国いつく島の大明神は平家の氏神なり


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