日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代五時継図)
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 十二仏名経に云く仮使法界に遍する大悲の諸菩薩も彼の女人の極業の障を降伏すること能わず文。
 大論に云く女人を見ること一度なるすら永く輪廻の業を結ぶ、何に況や犯すこと一度せば定んで無間獄に堕すと文。
 往生礼讃に云く女人と及び根欠と二乗種とは生せず文。
 大論に云く女人は悪の根本なり一たび犯せば五百生彼の所生の処六趣の中に輪廻すと文。
 華厳経に云く女人は大魔王能く一切の人を食す現在には纒縛と作り後生は怨敵と為る文。
一、真言を用いざる事
 伝教大師の依憑集の序に云く新来の真言家は則ち筆受の相承を泯す文。
 安然の教時義の第二に云く問う天台宗の遣唐の決義に云く此の大盧遮那経は天台五時の中に於て第三時方等部の摂なり彼の経の中に四乗を説くを以ての故に云云、此の義云何ん答う彼の決義に云く伝え聞く疏二十巻有り但未だ披見せず云云、此は是れ未だ経意を知らざる誤判なり、何なれば天台第三時の方等教は四教相対して大を以て小を斥い円を以て偏を弾ず、今大日経は応供正遍知衆生の楽に随つて四乗の法及び八部法を説きたもう是は一切智智一味云云、若し爾らば法華と同じと謂う可し何に方等弾斥の教に摂するや文。
 広修維閧フ唐決に云く問う大毘盧遮那一部七巻薄伽梵如来加持広大金剛法界宮に住して一切の持金剛者の為に之を演説す、大唐の中天竺国の三蔵輸婆迦羅唐には言う善無畏と訳す、今疑う如来の所説始め華厳より終り涅槃に至るまで五時四教の為に統摂せざる所無し、今此の毘盧遮那経を以て何の部何の時何の教にか之を摂せん又法華の前説とや為さん当に法華の後説とや為さん此の義云何、答う謹みて経文を尋ぬるに方等部に属す声聞縁覚に被らしむるが故に不空羂索大宝積大集大方等金光明維摩楞伽思益等の経と同味なり、四教四仏四土を具す今毘盧遮那経法界宮に於て説くことを顕す、


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