日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代五時継図)
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 伝教大師加茂大明神に参詣して法華経を講ず甲冑をぬいで自ら布施し給い畢んぬ。
 文句の十に云く得聞是経不老不死とは此れ須らく観解すべし不老は是れ楽不死は是れ常此の経を聞いて常楽の解を得文。
 涅槃経の十三に云く是の諸の大乗方等経典は復無量の功徳を成就すと雖も是の経に比せんと欲す喩と為ることを得ず百倍千倍百千万億倍乃至算数譬喩も及ぶこと能わざる所なり、善男子譬えば牛より乳を出し乳より酪を出し酪より生蘇を出し生蘇より熟蘇を出し熟蘇より醍醐を出し醍醐最上なり、若し服すること有る者は衆病皆除く所有の諸薬悉く其の中に入るが如し、善男子仏も亦是くの如し仏より十二部経を出生し十二部経より修多羅を出し修多羅より方等経を出し方等より般若波羅蜜を出し般若波羅蜜より大涅槃を出す猶醍醐の如し、醍醐と言うは仏性を喩う仏性とは即ち是れ如来なり文。
一、金剛峯寺建立修業縁記に云く、吾入定の間知足天に往いて慈尊御前に参仕すること五十六億七千余歳の後慈尊下生の時必ず随従して吾が旧跡を見る可し此の峯等閑にすること勿れと文。
一、弘決に云く若し衆生生死を出でず仏乗を慕わずと知らば魔是の人に於て猶親想を生ずと文。
 五百問論に云く大千界麈数の仏を殺すは其の罪尚軽し、此の経を毀謗すれば罪彼より多し永く地獄に入つて出期有ること無からん、読誦の者を毀呰する亦復是くの如し文。
一、広宣流布す可き法華の事
 伝教大師の守護章に云く正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり何を以て知ることを得ん安楽行品に云く末世法滅時と文。
 秀句の下に云く代を語れば則ち像の終り末の初め地を尋ぬれば唐の東羯の西


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