日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代五時継図)
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吾今最後に観を策まし玄を談ず最後善寂なり○跏趺して三宝の名を唱えて三昧に入るが如し即ち其の年十一月二十四日未の時端坐して滅に入りたもう文。
 又云く大師生存に常に兜率に生ぜん事を願う臨終に乃ち観音来迎すと云う、当に知るべし物に軌とり機に随い縁に順じて化を設く一准なる可からざることを文、又云く汝善根を種うるに嬾くして他の功徳を問う盲の乳を問い蹶きたる者の路を訪うが如し実を告げて何の益かあらん文。
 選択集の上に云く願くは西方の行者各其の意楽に随い或は法華を読誦して以て往生の業と為し、或は華厳を読誦し以て往生の業と為し或は遮那教主及以び諸尊の法等を受持し読誦して往生の業と為し或は般若方等及以び涅槃経等を解説し書写して以て往生の業と為す是れ則ち浄土宗観無量寿経の意なり文。
 又云く問うて曰く爾前経の中何ぞ法華を摂するや、答えて曰く今言う所の摂とは権実偏円等の義を論ずるに非ず、読誦大乗の言は普く前後の大乗諸経に通ず文。
 観無量寿経に云く爾の時に王舎大城に一りの太子有す阿闍世と名く、調達悪友の教に随順して父の王の頻婆沙羅を収執して幽閉して七重の室内に置く文。
 法華経の序品に云く韋提希の子阿闍世王若干百千の眷属と倶なり文。
 恵心の往生要集の上に云く夫れ往生極楽の教行は濁世末代の目足なり道俗貴賎誰か帰せざらん、但顕密の教法其の文一に非ず事理の業因其の行惟れ多し利智精進の人は未だ難と為さず、予が如き頑魯の者豈敢てせんや、是の故に念仏の一門に依つて聊か経論の要文を集め之を披らき之を修するに覚り易く行じ易し文。
 恵心往生要集を破し二十三年已後に一乗要決を作る、一乗要決の上に云く諸乗の権実は古来の諍なり倶に経論に拠つて互に是非を執す、余寛弘丙午の歳冬十月病中に歎じて曰く仏法に遇うと雖も未だ仏意を了せず


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