日蓮大聖人御書
ネット御書
(種種御振舞御書)
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六郎左衛門尉云く上より殺しまうすまじき副状下りてあなづるべき流人にはあらず、あやまちあるならば重連が大なる失なるべし、それよりは只法門にてせめよかしと云いければ念仏者等或は浄土の三部経或は止観或は真言等を小法師等が頚にかけさせ或はわきにはさませて正月十六日にあつまる、佐渡の国のみならず越後越中出羽奥州信濃等の国国より集れる法師等なれば塚原の堂の大庭山野に数百人六郎左衛門尉兄弟一家さならぬもの百姓の入道等かずをしらず集りたり、念仏者は口口に悪口をなし真言師は面面に色を失ひ天台宗ぞ勝つべきよしをののしる、在家の者どもは聞ふる阿弥陀仏のかたきよとののしりさわぎひびく事震動雷電の如し、日蓮は暫らくさはがせて後各各しづまらせ給へ法門の御為にこそ御渡りあるらめ悪口等よしなしと申せしかば六郎左衛門を始めて諸人然るべしとて悪口せし念仏者をばそくびをつきいだしぬ、さて止観真言念仏の法門一一にかれが申す様をでつしあげて承伏せさせてはちやうとはつめつめ一言二言にはすぎず、鎌倉の真言師禅宗念仏者天台の者よりもはかなきものどもなれば只思ひやらせ給へ、利剣をもてうりをきり大風の草をなびかすが如し、仏法のおろかなるのみならず或は自語相違し或は経文をわすれて論と云ひ釈をわすれて論と云ふ、善導が柳より落ち弘法大師の三鈷を投たる大日如来と現じたる等をば或は妄語或は物にくるへる処を一一にせめたるに、或は悪口し或は口を閉ぢ或は色を失ひ或は念仏ひが事なりけりと云うものもあり、或は当座に袈裟平念珠をすてて念仏申すまじきよし誓状を立つる者もあり。
 皆人立ち帰る程に六郎左衛門尉も立ち帰る一家の者も返る、日蓮不思議一云はんと思いて六郎左衛門尉を大庭よりよび返して云くいつか鎌倉へのぼり給うべき、かれ答えて云く下人共に農せさせて七月の比と云云、日蓮云く弓箭とる者はををやけの御大事にあひて所領をも給わり候をこそ田畠つくるとは申せ、只今いくさのあらんずるに急ぎうちのぼり高名して所知を給らぬか、さすがに和殿原はさがみの国には名ある侍ぞかし、田舎にて田つくりいくさにはづれたらんは恥なるべしと申せしかばいかにや思いけめあはててものもいはず、念仏者


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