日蓮大聖人御書
ネット御書
(種種御振舞御書)
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ただ平左衛門尉が好むわざわひなり、和殿原とても此の島とても安穏なるまじきなりと申せしかば、あさましげにて立帰りぬ、さて在家の者ども申しけるは此の御房は神通の人にてましますかあらおそろしおそろし、今は念仏者をもやしなひ持斎をも供養すまじ、念仏者良観が弟子の持斎等が云く此の御房は謀叛の内に入りたりけるか、さて且くありて世間しづまる。
 又念仏者集りて僉議す、かうてあらんには我等かつえしぬべしいかにもして此の法師を失はばや、既に国の者も大体つきぬいかんがせん、念仏者の長者の唯阿弥陀仏持斎の長者の性諭房良観が弟子の道観等鎌倉に走り登りて武蔵守殿に申す、此の御房島に候ものならば堂塔一宇も候べからず僧一人も候まじ、阿弥陀仏をば或は火に入れ或は河にながす、夜もひるも高き山に登りて日月に向つて大音声を放つて上を呪咀し奉る、其の音声一国に聞ふと申す、武蔵前司殿是をきき上へ申すまでもあるまじ、先ず国中のもの日蓮房につくならば或は国をおひ或はろうに入れよと私の下知を下す、又下文下るかくの如く三度其の間の事申さざるに心をもて計りぬべし、或は其の前をとをれりと云うてろうに入れ或は其の御房に物をまいらせけりと云うて国をおひ或は妻子をとる、かくの如くして上へ此の由を申されければ案に相違して去る文永十一年二月十四日の御赦免の状同三月八日に島につきぬ、念仏者等僉議して云く此れ程の阿弥陀仏の御敵善導和尚法然上人をのるほどの者がたまたま御勘気を蒙りて此の島に放されたるを御赦免あるとていけて帰さんは心うき事なりと云うて、やうやうの支度ありしかども何なる事にや有りけん、思はざるに順風吹き来りて島をばたちしかばあはいあしければ百日五十日にもわたらず、順風には三日なる所を須臾の間に渡りぬ、越後のこう信濃の善光寺の念仏者持斎真言等は雲集して僉議す、島の法師原は今までいけてかへすは人かつたいなり、我等はいかにも生身の阿弥陀仏の御前をばとをすまじと僉議せしかども、又越後のこうより兵者どもあまた日蓮にそひて善光寺をとをりしかば力及ばず、


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