日蓮大聖人御書
ネット御書
(兄弟抄)
<1.前 P1084
2.次>
当時もかのうてに向かいたる人人のなげき老たるをやをさなき子わかき妻めづらしかりしすみかうちすててよしなき海をまほり雲のみうればはたかと疑いつりぶねのみゆれば兵船かと肝心をけす、日に一二度山えのぼり夜に三四度馬にくらををく、現身に修羅道をかんぜり、各各のせめられさせ給う事も詮するところは国主の法華経のかたきとなれるゆへなり、国主のかたきとなる事は持斎等念仏真言師等が謗法よりをこれり、今度ねうしくらして法華経の御利生心みさせ給へ、日蓮も又強盛に天に申し上げ候なり、いよいよをづる心ねすがたをはすべからず、定んで女人は心よはくをはすればごぜたちは心ひるがへりてやをはすらん、がうじやうにはがみをしてたゆむ心なかれ、例せば日蓮が平左衛門の尉がもとにてうちふるまいいゐしがごとくすこしもをづる心なかれ、わだが子となりしものわかさのかみ(若狭守)が子となりし将門貞当が郎従等となりし者、仏になる道にはあらねどもはぢををもへば命をしまぬ習いなり、なにとなくとも一度の死は一定なり、いろばしあしくて人にわらはれさせ給うなよ。
あまりにをぼつかなく候へば大事のものがたり一つ申す、?白ひ叔せい(伯夷叔斉)と申せし者は胡竹国の王の二人の太子なり、父の王弟の叔せいに位をゆづり給いき、父しして後叔せい位につかざりき、白ひが云く位につき給え叔せいが云く兄位を継ぎ給え白ひが云くいかに親の遺言をばたがへ給うぞと申せしかば親の遺言はさる事なれどもいかんが兄ををきては位には即くべきと辞退せしかば、二人共に父母の国をすてて他国へわたりぬ、周の文王につかへしほどに文王殷の紂王に打たれしかば武王百箇日が内にいくさををこしき、白ひ叔せいは武王の馬の口にとりつきていさめて云くをやのしして後三箇年が内にいくさををこすはあに不孝にあらずや、武王いかりて白ひ叔せいを打たんとせしかば大公望せいして打たせざりき、二人は此の王をうとみてすやうと申す山にかくれゐてわらびををりて命をつぎしかば、
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