日蓮大聖人御書
ネット御書
(五人所破抄)
<1.前 P1613 2.次>

伝教大師は本門を慕いて「正像稍過ぎ已つて末法太だ近きに有り法華一乗の機今正しく是れ其の時なり」文、又云く「代を語れば則ち像の終り末の初め地を原ぬれば則ち唐の東羯の西人を尋ぬれば則ち五濁の生闘諍の時経に云く猶多怨嫉況滅度後と此の言良に以有るなり」云云。
 加之大論の中に「法華は是れ秘密なれば諸の菩薩に付す」と宣ぶ、今の下文に下方を召すが如く尚本眷属を待つ験けし余は未だ堪えず、輔正記に云く「付嘱を明せば此の経をば唯下方涌出の菩薩に付す、何を以ての故に爾る、法是れ久成の法なるに由るが故に久成の人に付す」[ 論釈一に非ず繁を恐れて之を略す] 。
 観音薬王は既に迹化に居す南岳天台誰人の後身ぞや、正像過ぎて二千年未だ上行の出現を聞かず末法も亦二百余廻なれば本門流布の時節なり何ぞ一部の総釈を以て猥に三時の弘経を難ぜんや、次に日本と云うは惣名なり亦本朝を扶桑国と云う富士は郡の号即ち大日蓮華山と称す、爰に知んぬ先師自然の名号と妙法蓮華の経題と山州共に相応す弘通此の地に在り、遠く異朝の天台山を訪えば台星の所居なり大師彼の深洞を卜して迹門を建立す、近く我が国の大日山を尋ぬれば日天の能住なり聖人此の高峰を撰んで本門を弘めんと欲す、閻浮第一の富山なればなり五人争でか辺鄙と下さんや。
 次に上行菩薩は本極法身微妙深遠にして寂光に居すと雖も未了の者の為に事を以て理を顕し地より涌出したまいて以来付を本門に承け時を末法に待ち生を我朝に降し訓を仮字に示す、祖師の鑒機失無くんば遺弟の改転定めて恐れ有らんか、此等の所勘に依つて浅智の仰信を致すのみ、抑梵漢の両字と扶桑の一点とは時に依り機に随つて互に優劣無しと雖も倩上聖被下の善巧を思うに殆んど天竺震旦の方便に超えたり、何ぞ倭国の風俗を蔑如して必ずしも漢家の水露を崇重せん、但し西天の仏法東漸の時既に梵音を飜じて倭漢に伝うるが如く本朝の聖語も広宣の日は亦仮字を訳して梵震に通ず可し、遠沾の飜訳は諍論に及ばず雅意の改変は独り悲哀を懐く者なり。


<1.前 P1613 2.次>