日蓮大聖人御書
ネット御書
(祈祷抄)
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答て云くせんぜんも少少申しぬれども今度又あらあら申すべし、日本国にをいては此の事大切なり、これをしらざる故に多くの人口に罪業をつくる、先づ山門はじまりし事は此の国に仏法渡つて二百余年、桓武天皇の御宇に伝教大師立て始め給いしなり、当時の京都は昔聖徳太子王気ありと相し給いしかども天台宗の渡らん時を待ち給いし間都をたて給はず、又上宮太子の記に云く「我が滅後二百余年に仏法日本に弘まる可し」云云、伝教大師延暦年中に叡山を立て給ふ桓武天皇は平の京都をたて給いき、太子の記文たがはざる故なり、されば山門と王家とは松と栢とのごとし、蘭と芝とににたり、松かるれば必ず栢かれらんしぼめば又しばしぼむ、王法の栄へは山の悦び王位の衰へは山の歎きと見えしに既に世関東に移りし事なにとか思食しけん。
 秘法四十一人の行者承久三年辛巳四月十九日京夷乱れし時関東調伏の為め隠岐の法皇の宣旨に依つて始めて行はれ御修法十五檀の秘法、一字金輪法[天台座主慈円僧正伴僧十二口関白殿基通の御沙汰]四天王法[成興寺の宮僧正僧伴八口広瀬殿に於て修明門院の御沙汰]不動明王法[成宝僧正伴僧八口花山院禅門の御沙汰]大威徳法[観厳僧正伴僧八口七条院の御沙汰]転輪聖王法[成賢僧正伴僧八口同院の御沙汰]十壇大威徳法[伴僧六口覚朝僧正俊性法印永信法印豪円法印猷円僧都慈賢僧正賢乗僧都仙尊僧都行遍僧都実覚法眼已上十人大旨本坊に於て之を修す]如意輪法[妙高院僧正伴僧八口宜秋門院の御沙汰]毘沙門法[常住院僧正三井伴僧六口資賃の御沙汰]御本尊一日之を造らせらる調伏の行儀は如法愛染王法[仁和寺御室の行法五月三日之れを始めて紫宸殿に於て二七日之を修せらる]仏眼法[大政僧正三七日之を修す]六字法[快雅僧都]愛染王法[観厳僧正七日之を修す]不動法[勧修寺の僧正伴僧八口皆僧綱]大威徳法[安芸僧正]金剛童子法[同人]已上十五壇の法了れり、五月十五日伊賀太郎判官光季京にして討たれ、同十九日鎌倉に聞え、同二十一日大勢軍兵上ると聞えしかば残る所の法六月八日之れを行ひ始めらる、尊星王法[覚朝僧正]太元法[蔵有僧都]五壇法[大政僧正永信法印全尊僧都猷円僧都行遍僧都]守護経法[御室之を行はせらる我朝二度之を行う]五月二十一日武蔵の守殿が海道より上洛し甲斐源氏は山道を上る式部殿は北陸道を上り給う、


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