日蓮大聖人御書
ネット御書
(報恩抄)
<1.前 P0308 2.次>

同我の後哲に贈る某の時興ること日本第五十二葉弘仁の七丙申の歳なり」云云、次ぎ下の正宗に云く「天竺の名僧大唐天台の教迹最も邪正を簡ぶに堪えたりと聞いて渇仰して訪問す」云云、次ぎ下に云く「豈中国に法を失つて之を四維に求むるに非ずや而かも此の方に識ること有る者少し魯人の如きのみ」等云云、此の書は法相三論華厳真言の四宗をせめて候文なり、天台真言の二宗同一味ならばいかでかせめ候べき、而も不空三蔵等をば魯人のごとしなんどかかれて候、善無畏金剛智不空の真言宗いみじくばいかでか魯人と悪口あるべき、又天竺の真言が天台宗に同じきも又勝れたるならば天竺の名僧いかでか不空にあつらへ中国に正法なしとはいうべき、それはいかにもあれ慈覚智証の二人は言は伝教大師の御弟子とはなのらせ給ども心は御弟子にあらず、其の故は此の書に云く「謹で依憑集一巻を著わして同我の後哲に贈る」等云云、同我の二字は真言宗は天台宗に劣るとならひてこそ同我にてはあるべけれ我と申し下さるる宣旨に云く「専ら先師の義に違い偏執の心を成す」等云云、又云く「凡そ厥師資の道一を闕いても不可なり」等云云、此の宣旨のごとくならば慈覚智証こそ専ら先師にそむく人にては候へ、かうせめ候もをそれにては候へども此れをせめずば大日経法華経の勝劣やぶれなんと存じていのちをまとにかけてせめ候なり、此の二人の人人の弘法大師の邪義をせめ候はざりけるは最も道理にて候いけるなり、されば粮米をつくし人をわづらはして漢土へわたらせ給はんよりは本師伝教大師の御義をよくよくつくさせ給うべかりけるにや、されば叡山の仏法は但だ伝教大師義真和尚円澄大師の三代計りにてやありけん、天台座主すでに真言の座主にうつりぬ名と所領とは天台山其の主は真言師なり、されば慈覚大師智証大師は已今当の経文をやぶらせ給う人なり、已今当の経文をやぶらせ給うはあに釈迦多宝十方の諸仏の怨敵にあらずや、弘法大師こそ第一の謗法の人とおもうに、これはそれにはにるべくもなき僻事なり、其の故は水火天地なる事は僻事なれども人用ゆる事なければ其の僻事成ずる事なし、弘法大師の御義はあまり僻事なれば


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