日蓮大聖人御書
ネット御書
(十八円満抄)
<1.前 P1364 2.次>

設い一法なりと雖も三身を離れざる故に三身の果を以て蓮の体と為す、四には大分真如の体謂く不変随縁の二種の真如を並びに証分の真如と名く本迹寂照等の相を分たず諸法の自性不可思議なるを蓮の体と為す。
 次に蓮の宗とは果海の上の因果なり、和尚の云く六即の次位は妙法蓮華経の五字の中には正しく蓮の字に在り蓮門の五重玄の中には正しく蓮の字より起る、所以何ん理即は本性と名く本性の真如理性円満の故に理即を蓮と名け果海本性の解行証の位に住するを果海の次位と名く、智者大師自解仏乗の内証を以て明に経旨を見給うに蓮の義に於て六即の次位を建立し給えり故に文に云く此の六即の義は一家より起れりと、然るに始覚の理に依て在纒真如を指して理即と為し妙覚の証理を出纒真如と名く、正く出纒の為めに諸の万行を修するが故に法性の理の上の因果なり故に亦蓮の宗と名く蓮に六の勝能有り一には自性清浄にして泥濁に染まず[理即]、二には華台実の三種具足して減すること無し[名字即諸法即是れ三諦と解了するが故に]、三には初め種子より実を成ずるに至るまで華台実の三種相続して断ぜず[観行即念念相続して修し廃するなき故に]、四には華葉の中に在つて未熟の実真の実に似たり[相似即]、五には花開き蓮現ず[分真即]、六には花落ちて蓮成ず[究竟即]、此の義を以ての故に六即の深義は源蓮の字より出でたり。
 次に蓮の用とは六即円満の徳に由つて常に化用を施すが故に。
 次に蓮の教とは本有の三身果海の蓮性に住して常に浄法を説き八相成道し四句成利す、和尚云く証道の八相は無作三身の故に四句の成道は蓮教の処に在り只無作三身を指して本覚の蓮と為す、此の本蓮に住して常に八相を唱へ常に四句の成道を作す故なり[已上]、修禅寺相伝の日記之をみるに妙法蓮華経の五字に於て各各五重玄なり[蓮の字の五重玄義此くの如し余は之を略す]、日蓮案じて云く此の相伝の義の如くんば万法の根源、一心三観一念三千三諦六即境智の円融本迹の所詮源蓮の一字より起る者なり云云。
 問うて云く総説の五重玄とは如何、答えて云く総説の五重玄とは妙法蓮華経の五字即五重玄なり、妙は名法は体蓮は宗華は用経は教なり、


<1.前 P1364 2.次>