満月城岡山牧石ファミネット > 2014年10月度座談会御書講義 日女御前御返事(御本尊相貌抄)

2014年10月度
座談会御書講義

日女御前御返事

(御本尊相貌抄)


皆さん、こんばんは。満月です。
大百蓮華の50ページをご覧ください。15分間の時間で依頼されましたので、その予定でお話しさせていただきます。

今月の御書は、日女御前御返事です。
この御書は御本尊の相貌(そうみょう)、つまり御本尊のお姿についての、深い意義が明かされているので御本尊相貌抄とも言われます。
では、一緒に声に出して拝読しましょう。

南無妙法蓮華経とばかり唱えて 仏になるべき事 尤(もっとも)も大切なり、信心の厚薄によるべきなり、仏法の根本は信を以て源とす、されば止観の四(し)に云く「仏法は海の如し 唯(ただ)信のみ能く入(い)る」と

初めに背景です。
この御書をいただいた日女御前は、千葉県に住む、ご年配の婦人部です。池上宗仲の妻、或いは、松野殿後家尼の娘という説がありますが、詳しいことはわかっていません。ただ、非常に熱心に信心をされ、純粋な方であったようです。大聖人から本抄を含め、2編の御書をいただかれています。

日女御前は、大聖人が身延へ入られて3年目の夏に、3桁の財務を大聖人にご供養されました。私の素人計算では、お金を150万円と、それから当時は庶民の口には入らなかったお米を40万円分と、果物を、身延へ贈られ、本御書はそのご供養に対するご返事です。

教学部の御書辞典の年表によると、大聖人は身延へ入られて半年後に、初めて御本尊を顕されていますが、日女御前がこの御書をいただいた健治三年というのは、(次の年が弘安元年ですので、)大聖人が大御本尊を建立される2年前にあたります。

御書講義第26巻(*1)では、「日女御前御返事」は、全体が9章に分けられていますが、今月の御書は第8章にあたります。終りの方です。

本御書で大聖人は、この御本尊は、釈尊も天台伝教も顕すことのできなかった御本尊を大聖人が末法において初めて顕わされたということを示されます。そして、法華経の虚空会の儀式を用いて、(借りて、)顕された御本尊の相貌を詳しく述べられます。

次いで2つの重要なことを明かされます。
一つは、
「此の御本尊全く余所に求る事なかれ只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団におはしますなり」ということです。
二つ目は、
今月度のこの御文のすぐ前の「此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」というです。

では御書の通解です。大百50ページの下です。
南無妙法蓮華経とだけ唱えて、成仏することが最も大切である。ひとえに信心の厚薄によるのである。仏法の根本は、信をもって源(みなもと)とする。それゆえ、天台の摩訶止観の第四に「仏法は広く深い海のようであり、ただ信によってのみ入ることができる」と説かれているのである。

私は、今日はこの御文の
唯信のみ能く入る」と「仏法の根本は信を以て源とす」の2点について拝したいと思います。
まず、私たちが信心によって、御本尊の中へ、宝塔の中へ「入る」についてです。

先ほど申し上げましたが、
「御本尊が私達の胸中の肉団にある」ということと、
「私達が御本尊の宝塔の中に入る」ということは、
一見矛盾しているように見えますが、ここに成仏の極理があります。
御本尊は紙か板なので、私たちはその中には入れないと思う方もおられるかもしれません。

しかし、御本尊をよく拝すると、御本尊は立体の構造になっておられます。
中央に南妙法蓮華経 日蓮と認められ、大聖人様は、私達の方を向いておられます。
次にその左右に、釈迦仏と多宝如来の2人の仏が並座されています。
大聖人は御書の中で、少なくとも91箇所にわたって「釈迦・多宝」と言われておりますが、「多宝・釈迦」とは言われていません。
つまり、釈迦の方が上座(じょうざ)で、多宝の方が下座(げざ)になります。

釈迦 | 多宝

法華経嘱累品第22には、釈尊が菩薩の頭を右手でなでられています。古来インドでは「右尊左卑」の考えです。 大聖人は報恩抄でも、宝塔の中での右尊左卑/上座下座のお考えを述べられています。(*2)

御本尊の中の大聖人様から見て、右側に釈尊がおられ、左側に多宝がおられます。逆に御本尊を拝する私達から見ると、左が釈尊、右が多宝です。つまり私達から拝して、御本尊の左側が上座で、右側が下座になります

次に、仏界以下の、九界についてです。
地涌の菩薩の上首である本化の四菩薩は、上行、無辺行、浄行、安立行菩薩です。

安立行 浄行 | 上行 無辺行

大聖人は、百六箇抄で「上行菩薩の再誕・本門の大師日蓮」とも説かれていますので、四菩薩の中では上行菩薩が一番上座なので、御本尊の中では、同様に私達から見て左側におられなければならないのに実際は、私達から見て右側におられます。

菩薩以下の残り8界も同様です。
大日天は右側で、大月天は左です。
月天 | 日天

鬼子母神は右側で、その子供の十羅刹女は左側です。
十羅刹女 | 鬼子母神

釈迦多宝の2仏と、上行以下の九界の方は左右逆になっています。

これはどういうことかというと、大聖人と釈迦多宝は私達の方を向いておられるんですけれども、それ以外の九界方は私達の方を向いておられるわけではなく、私達と同じく、大聖人の方を向いておられます。
つまり、私達から見ると、九界の菩薩および諸天の背中を見ていることになります。

従って、私達が御本尊の前に正座し、勤行題目を上げている時は、私達は、上行菩薩以下の九界の人々と共に、 御本尊の中に入っていることになります。これが「此の御本尊の宝塔の中へ入るべきなり」と言われる意味です。

この御本尊の宝塔の中に入るには、信心がなければなりません。
「仏法は海の如し、唯信のみよく入る」です。

日寛上人は「法華経を信ずる心 強きを名づけて仏界と為す」と言われています。御本尊を信ずる私達の心それ自体が仏界であり、即、御本尊を収めています。

依正不二の原理で考えれば、
正報に即すれば、御本尊は私達の信心の二字におさまり、「胸中の肉団におはします」ということであり、
依報に即すれば、私達の身が「御本尊の宝塔の中に入る」ということです。

つまり、私達の住するこの世界・宇宙がそのまま宝塔となっています。ここに依正不二の原理があります。

次に、2点目の「仏法の根本は信」ですが、仏法で言う真実の信についてです。
信というのは「イワシの頭も信心から」という、いわゆる盲信のことではありません。信という文字は、2つの意味を持っています。
一つは「真実を言う」ことであり、
一つは「疑わない」ということです。
この両法が合致して信の意義は満たされます。

仏が真実の法を示し、それを衆生が疑わないことによって、「仏」と「衆生」とは一つに結びつけられるのです。ここに正しい仏法の理を求める教学研鑽が、信を深める原理があります。そして深められた信は必ず、更なる求道心を呼び起こし、一層仏法の理を求めることになります。


ここから私の体験談ですが、私は19歳の時に、大学入学で岡山に来て、その年の学生部結成記念日に、津島支部の土生地区で入信しました。
浪人していた時は、非常に心が荒れていて、その時にたまたま図書館で、池田先生の「私はこう思う」という本を読んで感動し、池田先生の本を読み漁っていました。池田先生の本を読んでいる間だけは、心の安穏はありました。

私が岡山に来て、私が池田先生の本を読んでいることを知っている友人の、そのまた友人が学生部員でした。そのN君から折セミに誘われたので、N君の部屋に初めて行きました。その4畳半の部屋には、大きな仏壇があり、線香くさい香りがしていて、最初は、『池田先生とこの仏壇と一体何の関係があるんだろう』と不思議でした。部屋には、グループ長のIさんをはじめ、他の学生部の方が数人いましたが、小さな座談会という感じで、私は何か、小さいころに戻ったようで、お互い何の利害関係もなく人と人が話をしている、心のふるさとのような感じがしました。そこに居る人が悪い人ではないと思いました。

部屋に行く前は、理論では誰にも負けないと思っていましたが、学生部の部長のIWさんに、理論でも負けましたが、くやしさはなく、すがすがしい感じがしました。
それでIさんから詳しく話を聞いた後、翌日は、皆で広島に行き、学生部幹部会に出席し、それから、毎日その部屋で勤行指導を受けました。足が痛くて痛くて、真剣に祈らなくてはいけないと言われたので、勤行が早く終わるようにと真剣に祈りました。

数か月たって、入信するか否か、御本尊を受けるか否か、決めないといけない時が来ました。
私は、自分が入信するかどうかには、怖くもあり、迷いがありました。「いろいろ理屈を言っても、結局やってみなければわからない」と言われました。その時、私は理論でどうだこうだというのではなく、結局、ここにいるIさん達と今後も一緒にいたい。離れたくないと思い、そのことだけで、入信しました。
IさんやN君、又同じ苗字の別のIGさんとは今でも交流がありますし、いまでも一番信頼しています。

今でも自分の信心の原点になっている出来事があります。
入信して3か月くらいたったある夜のことです。いつもは、しないのですが、その日に限って題目をあげたくなり、4畳半一間の部屋で、自分で作った仏壇を開けて、南妙法蓮華経と唱えていると、私は視力は正常なのですが、 いつもは御本尊様がぼやっとしか見えませんでしたが、その時、急に南妙法蓮華経の御文字が上から下まではっきり見えました。その時、御本尊様の偉大さがの一旦を垣間見る思いがしました。
『御本尊がこの宇宙の全ての基準である』と。
『御本尊が真実である』と。
涙がでてきてとまりませんでした。懺悔の気持ちと深い感謝の思いが一気にでました。

私はそれまで、自分を『いい人間』だとは思っていませんでしたが、かといって、さほど悪い人間だとは思っていませんでした。しかし、その時は、自分がやってきた自分の過去の行いが、ありありと浮かんできて、本当に悪かったと心から反省しました。
その上で、こんな自分ではあるけれども、
『御本尊様はちゃんと目の前にいてくださる。ほんとうにありがとうございます。
全ての究極の価値の基準はこの南妙法蓮華経だ!』
という気持ちがふつふつと湧いてきて、この感激をとめることはできませんでした。御本尊様の前でひれ伏す思いでした。
この経験があるおかげで、私はこれまで信心を続けてこれましたし、今後も続けていきます。
自行化他にわたり、自分の功徳を他の人に伝えることできるよう頑張ります。

智慧第一と言われた舎利弗ですら、理屈ではなく、この「信」によって、仏の境涯を得ることができました。
大百59ページの上をご覧ください。
「御書に学ぶ」で先生は書かれています。
強情な信心があるところ、その生命に御本尊は涌現されます。反対に信心がなければ、どんなに御本尊を持っていても功徳はない。信心によって、「功徳聚」たる御本尊が胸中に顕れるのです。したがって、わが信心が壊れない限り、功徳聚もなくなることがないのです。
以上です。ありがとうございました。


参考文献
・*1 創価学会 御書講義刊行会 日蓮大聖人御書講義第26巻 P171〜226
*2 北林芳典WebSiteモバイル 考究≪8≫阿仏房シリーズ〈6〉宝塔の中の阿仏房 阿仏房が東向きに坐っている理由

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