日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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安国論御勘由来

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彗星東方に出で余光大体一国土に及ぶ、此れ又世始まりてより已来無き所の凶瑞なり内外典の学者も其の凶瑞の根源を知らず、予弥よ悲歎を増長す、而るに勘文を捧げて已後九ケ年を経て今年後の正月大蒙古国の国書を見るに日蓮が勘文に相叶うこと宛かも符契の如し、仏記して云く「我が滅度の後一百余年を経て阿育大王出世し我が舎利を弘めん」と、周の第四昭王の御宇大史蘇由が記に云く「一千年の外声教此の土に被らしめん」と、聖徳太子の記に云く「我が滅度の後二百余年を経て山城の国に平安城を立つ可し」と、天台大師の記に云く「我が滅後二百余年の已後東国に生れて我が正法を弘めん」等云云、皆果して記文の如し。

 日蓮正嘉の大地震同じく大風同じく飢饉正元元年の大疫等を見て記して云く他国より此の国を破る可き先相なりと、自讃に似たりと雖も若し此の国土を毀壊せば復た仏法の破滅疑い無き者なり。

 而るに当世の高僧等謗法の者と同意の者なり復た自宗の玄底を知らざる者なり、定めて勅宣御教書を給いて此の凶悪を祈請するか、仏神弥よ瞋恚を作し国土を破壊せん事疑い無き者なり。

 日蓮復之を対治するの方之を知る叡山を除いて日本国には但一人なり、誓えば日月の二つ無きが如く聖人肩を並べざるが故なり、若し此の事妄言ならば日蓮が持つ所の法華経守護の十羅刹の治罰之を蒙らん、但偏に国の為法の為人の為にして身の為に之を申さず、復禅門に対面を遂ぐ故に之を告ぐ之を用いざれば定めて後悔有る可し、恐恐謹言。

=   文永五年[太歳戊辰]四月五日

%法鑒御房                  日蓮花押

*安国論別状

 立正安国論の正本、富木殿に候、かきて給び候はん、ときどの(富木殿)か、又。五月廿六日  日蓮花押


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