日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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法華真言勝劣事

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又勝劣の義を存するは此の才覚を学びて此の義を存するか此の義若し僻案ならば空海の義も又僻見なる可きなり、天台真言の書に云く法華経と大日経とは広略の異なり略とは法華経なり、大日経と斉等の理なりと雖も印真言之を略する故なり、広とは大日経なり極理を説くのみに非ず印真言をも説く故なり、又法華経と大日経とに同劣の二義有り、謂く理同事劣なり、又二義有り一には大日経は五時の摂なり是れ与の義なり、二には大日経は五時の摂に非ず是れ奪の義なり、又云く法華経は譬えば裸形の猛者の如し大日経は甲冑を帯せる猛者なり等と云云、又云く印真言無きは其の仏を知る可からず等と云云。

 日蓮不審して云く何を以て之を知る理は法華経と大日経と斉等なりと云う事を、答えて云く疏と義釈並に慈覚智証等の所釈に依るなり。

 求めて云く此等の三蔵大師等は又何を以て之を知るや理は斉等の義なりと、答えて云く三蔵大師等をば疑う可からず等と云云、難じて云く此の義論義の法に非ざる上仏の遺言に違背す慥に経文を出す可し若し経文無くんば義分無かる可し如何、答う威儀形色経瑜祇経観智儀軌等なり、文は口伝す可し、問うて云く法華経に印真言を略すとは仏よりか経家よりか訳者よりか、答えて云く或は仏と云い或は経家と云い或は訳者と云うなり、不審して云く仏より真言印を略して法華経と大日経と理同事勝の義之有りといわば此の事何れの経文ぞや文証の所出を知らず我意の浮言ならば之を用ゆ可からず若し経家訳者より之を略すといわば仏説に於ては何ぞ理同事勝の釈を作る可きや法華経と大日経とは全躰斉なり能く能く子細を尋ぬ可きなり。

 私に日蓮云く威儀形色経瑜祇経等の文の如くば仏説に於ては法華経に印真言有るか、若し爾らば経家訳者之を略せるが、六波羅蜜経の如きは経家之を略す、旧訳の仁王経の如きは訳者之を略せるか、若し爾らば天台真言の理同事異の釈は経家並に訳者の時より法華経大日経の勝劣なり、全く仏説の勝劣に非ず


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