日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

蓮盛抄

<前 P0151 次>


例せば大法東漸と云えるを妙楽大師解釈の中に「通じて仏教を指す」と云いて大小権実をふさねて大法と云うなり云云、外道に対すれば小乗も大乗と云われ下臈なれども分には殿と云はれ上臈と云はるるがごとし、涅槃経の三に云く「若し法宝を以て阿難及び諸の比丘に付属せば久住を得じ何を以ての故に一切の声聞及び大迦葉は悉く当に無常なるべし彼の老人の他の寄物を受くるが如し、是の故に応に無上の仏法を以て諸の菩薩に付属すべし諸の菩薩は善能問答するを以て是くの如きの法宝則ち久住することを得無量千世増益熾盛にして衆生を利安せん彼の壮なる人の他の寄物を受くるが如し是の義を以ての故に諸大菩薩乃ち能く問うのみ」云云、大小の付属其れ別なること分明なり、同経の十に云く「汝等文殊当に四衆の為に広く大法を説くべし今此の経法を以て汝に付属す乃至迦葉阿難等も来らば復当に是くの如き正法を付属すべし」云云故に知んぬ文殊迦葉に大法を付属すべしと云云、仏より付属する処の法は小乗なり悟性論に云く「人心をさとる事あれば菩提の道を得る故に仏と名づく」菩提に五あり何れの菩提ぞや得道又種種なり何れの道ぞや余経に明す所は大菩提にあらず又無上道にあらず経に云く「四十余年未顕真実」云云。

 問うて云く法華は貴賎男女何れの菩提の道を得べきや、答えて云く「乃至一偈に於ても皆成仏疑い無し」云云、又云く「正直に方便を捨て但無上道を説く」云云、是に知んぬ無上菩提なり「須臾も之を聞いて即ち阿耨菩提を究竟することを得るなり」此の菩提を得ん事須臾も此の法門を聞く功徳なり、問うて云く須臾とは三十須臾を一日一夜と云う「須臾聞之」の須臾は之を指すか如何、答う件の如し天台止観の二に云く「須臾も廃すること無かれ」云云、弘決に云く「暫くも廃することを許さざる故に須臾と云う」故に須臾は刹那なり。

 問うて云く本分の田地にもとづくを禅の規模とす、答う本分の田地とは何者ぞや又何れの経に出でたるぞや法華経こそ人天の福田なればむねと人天を教化し給ふ故に仏を天人師と号す此の経を信ずる者は己身の仏を見るの


<前 P0151 次>


満月城岡山ポケット版御書