<前
P0206 次>せんしや婆羅門女が鉢を腹にふせし、何に況や所化の弟子の数難申す計りなし、無量の釈子は波瑠璃王に殺され千万の眷属は酔象にふまれ、華色比丘尼は提婆にがいせられ迦廬提尊者は馬糞にうづまれ目・尊者は竹杖にがいせらる、其の上六師同心して阿闍世婆斯匿王等に讒奏して云く「瞿曇は閻浮第一の大悪人なり、彼がいたる処は三災七難を前とす、大海の衆流をあつめ大山の衆木をあつめたるがごとし、瞿曇がところには衆悪をあつめたり、所謂迦葉舎利弗目連須菩提等なり、人身を受けたる者は忠孝を先とすべし、彼等は瞿曇にすかされて父母の教訓をも用いず、家をいで王法の宣旨をもそむいて山林にいたる、一国に跡をとどむべき者にはあらず、されば天には日月衆星変をなす地には衆夭さかんなりなんどうつたう、堪べしともおぼえざりしに又うちそうわざわいと仏陀にもうちそいがたくてありしなり、人天大会の衆会の砌にて時時呵嘖の音をききしかばいかにあるべしともおぼへず只あわつる心のみなり、其の上大の大難の第一なりしは浄名経の「其れ汝に施す者は福田と名けず汝を供養する者は三悪道に堕す」等云云、文の心は仏菴羅苑と申すところにをはせしに梵天帝釈日月四天三界諸天地神竜神等無数恒沙の大会の中にして云く須菩提等の比丘等を供養せん天人は三悪道に堕つべし、此等をうちきく天人此等の声聞を供養すべしや、詮ずるところは仏の御言を用つて諸の二乗を殺害せさせ給うかと見ゆ、心あらん人人は仏をもうとみぬべし、されば此等の人人は仏を供養したてまつりしついでにこそわづかの身命をも扶けさせ給いしか、されば事の心を案ずるに四十余年の経経のみとかれて法華八箇年の所説なくて御入滅ならせ給いたらましかば誰の人か此等の尊者をば供養し奉るべき現身に餓鬼道にこそをはすべけれ。
而るに四十余年の経経をば東春の大日輪寒冰を消滅するがごとく無量の草露を大風の零落するがごとく一言一時に未顕真実と打ちけし、大風の黒雲をまき大虚に満月の処するがごとく青天に日輪の懸り給うがごとく
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