日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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開目抄上

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の義趣をいでず、彼の別円二教は教主釈尊の別円二教にはあらず、法慧等の別円二教なり、此等の大菩薩は人目には仏の御弟子かとは見ゆれども仏の御師ともいゐぬべし、世尊彼の菩薩の所説を聴聞して智発して後重ねて方等般若の別円をとけり、色もかわらぬ華厳経の別円二教なり、されば此等の大菩薩は釈尊の師なり、華厳経に此等の菩薩をかずへて善知識ととかれしはこれなり、善知識と申すは一向師にもあらず一向弟子にもあらずある事なり、蔵通二教は又別円の枝流なり別円二教をしる人必ず蔵通二教をしるべし、人の師と申すは弟子のしらぬ事を教えたるが師にては候なり、例せば仏より前の一切の人天外道は二天三仙の弟子なり、九十五種まで流派したりしかども三仙の見を出でず、教主釈尊もかれに習い伝えて外道の弟子にてましませしが苦行楽行十二年の時苦空無常無我の理をさとり出してこそ外道の弟子の名をば離れさせ給いて無師智とはなのらせ給いしか、又人天も大師とは仰ぎまいらせしか、されば前四味の間は教主釈尊法慧菩薩等の御弟子なり、例せば文殊は釈尊九代の御師と申すがごとし、つねは諸経に不説一字ととかせ給うもこれなり。

 仏御年七十二の年摩竭提国霊鷲山と申す山にして無量義経をとかせ給いしに四十余年の経経をあげて枝葉をば其の中におさめて四十余年未顕真実と打消し給うは此なり、此の時こそ諸大菩薩諸天人等はあはてて実義を請せんとは申せしか、無量義経にて実義とをぼしき事一言ありしかどもいまだまことなし、譬へば月の出でんとして其の体東山にかくれて光り西山に及べども諸人月体を見ざるがごとし、法華経方便品の略開三顕一の時仏略して一念三千心中の本懐を宣べ給う、始の事なればほととぎすの初音をねをびれたる者の一音ききたるがやうに月の山の半を出でたれども薄雲のをほへるがごとくかそかなりしを舎利弗等驚いて諸天竜神大菩薩等をもよをして諸天竜神等其の数恒沙の如し仏を求むる諸の菩薩大数八万有り又諸の万億国の転輪聖王の至れる合掌して敬心を以て具足の道を聞かんと欲す等とは請ぜしなり、文の心は四味三教四十余年の間


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満月城岡山ポケット版御書