日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

小乗小仏要文

<前 P0597 次>


○四果門に約せば近成の小を聞かんと楽う者は釈氏の宮を出で始めて菩提を得たりとし長大久遠の道を聞かん事を楽欲せず故に楽小と云う」此等の小心は今日に始まるに非ず若し先に大を楽わば仏即ち始成を説かず始成を説くことは皆小法を楽う者の為のみ、又云く「諸の衆生小法を楽う者とは所見の機なり」華厳に云く「大衆清浄なりと雖も其の余の楽小法の者は或は疑悔を生じ長夜に衰悩せん此れを愍むが故に黙す」偈に云く「其の余の久く行ぜざるは智慧未だ明了ならず識に依つて智に依らず聞き已つて憂悔を生じ彼将に悪道に堕ちんとす此れを念うが故に説かず」と、彼の経を案ずるに声聞二乗無し但不久行の者を指して楽小法の人と為すのみ、師の云く「楽小は小乗の人に非ざるなり乃ち是れ近説を楽う者を小と為すのみ」文句の九に云く「徳薄とは縁了の二善功用微劣なれば下の文に諸子幼稚と云うなり垢重とは見思未だ除かざるなり」記の九に云く「徳薄垢重とは其の人未だ実教の二因有らざる故なり下の文に諸子幼稚と云うは下の医子の譬の文を指す尚未だ円を聞くに堪えず況んや遠を聞かんをや、見思未除とは且く譬の中の幼稚の言を消す定めて未だ遠を知らず」玄の一に云く「厚く善根を殖えて此の頓説を感ず」文、籤の一に云く「一往は総じて別円を以て厚と為す」五百問論に云く「一経の中に本門を以て主と為す」云云、又云く「一代教の中に未だ曾て遠を顕さず父母の寿は知らずんばあるべからず始めて此の中に於いて方に遠本を顕す、乃至但恐る才一国に当るも父母の年を知らざれば失う所小と謂うも辱むる所至つて大なり、若し父の寿の遠きを知らざれば復父統の邦に迷う徒に才能と謂うも全く人の子に非ず」文句の九に云く「菩薩に三種有り下方と他方と旧住となり」玄義の七に云く「若し迹因を執して本因と為さば斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり天月を識らずして但池月を観るが如し○、払迹顕本せば即ち本地の因妙を知る影を撥つて天を指すが如し云何ぞ盆に臨んで漢を仰がざる鳴呼聾駭なんすれぞ道を論ぜんや」又云く「若し迹果を執して本果と為す者は斯れ迹を知らず亦本を識らざるなり、


<前 P0597 次>


満月城岡山ポケット版御書