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P0688 次>一、漢土南北の十師天台大師に帰伏する事
国清百録の第四に云く千年と復五百と復実に今日に在り南岳の叡聖天台の明哲昔は三業を住持し今は二尊に紹継す豈止だ甘露を振旦に灑ぐのみならん亦当に法鼓を天竺に振うべし、生知妙悟なり魏晋より以来典籍風謡実に連類無し云云、乃至禅衆一百余僧と共に智者大師を請し奉る。[天台大師、俗性は陳氏、字は徳安、諱は智・、頴川の人なり、後則ち南荊州華容県に遷居す。]一、伝教大師の一期略記に云く[桓武天皇の御宇、延暦廿一年壬午正月十九日伝教大師最澄高尾寺に於て、六宗と諍い責め破り畢ぬ。仍つて勅宣を下され帰伏の状を召さる、六宗の碩学共に帰伏の状を奉りて云く]漢明の年教震旦に被り礒島の代に訓本朝に及ぼす、聖徳の皇子は霊山の聖衆にして衡岳の後身なり経を西隣に請い道を東域に弘む、智者禅師は亦共に霊山に侍し迹を台岳に降し同く法華三昧を悟り以て諸仏の妙旨を演ぶる者なり、竊に天台の玄疏を見れば釈迦一代の教を惣括して悉く其の趣を顕わし処として通ぜざること無し独り諸宗に逾え殊に一道を示す、其の中の所説の甚深の妙理七箇の大寺六宗の学匠昔未だ聞かざる所曾て未だ見ざる所三論法相の久年の諍い渙焉として氷の如く釈け昭然として既に明かなり雲霧を披いて三光を見るが猶し、聖徳の弘化より以降今に二百余年の間講ずる所の経論其の数惟れ多し彼此理を争つて其の疑未だ解けず、此の最妙の円宗猶未だ闡揚せず、蓋し以れば此の間の群生未だ円味に応ぜざるか、伏して惟れば聖朝久しく如来の付嘱を受け深く純円の機を結ぶ一妙の義理始めて乃ち興顕す、六宗の学衆初めて至極を悟る、謂つべし此の界の含霊而今而後悉く妙円の船に載つて早く彼岸に済ることを得と、如来の成道四十余年の後乃ち法華を説いて悉く三乗の侶をして共に一乗の車に駕せしむるが猶し、善議等慶躍の至りに堪えず敢て表を奉つて陳謝以て聞す云云。
秀句の下に云く当に知るべし已説の四時の経今説の無量義経当説の涅槃経は易信易解なることを随他意の故に、此の法華経は最も為れ難信難解なり随自意の故に、随自意の説は随他意に勝る、但し無量義を随他意と云うは未合の一辺を指す余部の随他意に同じからざるなり文。
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