日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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御講聞書

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法華経二十八品は影の如く響の如し、題目の五字は体の如く音の如くなり、題目を唱え奉る音は十方世界にとずかずと云う所なし、我等が小音なれども、題目の大音に入れて唱え奉る間、一大三千界にいたらざる所なし、譬えば小音なれども貝に入れて吹く時遠く響くが如く、手の音はわずかなれども鼓を打つに遠く響くが如し、一念三千の大事の法門是なり、かかる目出度き御経にて渡らせ給えるを、謗る人何ぞ無間に堕在せざらんや、法然弘法等の大悪知識是なり。

一妙法 の二字は一切衆生の色心の二法なり、一代説教の中に法の字の上に妙の字を置きたる経は一経もなし、涅槃経の題目にも大涅槃経と云いて大の字あれども妙の字なし、但し大は只是れ妙と云えり然れども大と妙とは不同なり、同じ大なれども華厳経の大方広仏華厳経と云える題号の大と、涅槃経の大と天地雲泥なり、華厳経の大は無得道の大なり。涅槃経の大は法華同醍醐味の大なり、然れども然涅槃尚劣と云う時は法華経には劣れり、此の事は涅槃経に分明に法華経に劣ると説かれたり、涅槃経に云く如法華中八千声聞得受記・成大果実如秋収冬蔵更無所作云云、此の文分明に我と法華経に劣れりと説かせ給えり。

一蓮華 とは本因本果なり、此の本因本果と云うは一念三千なり、本有の因本有の果なり、今始めたる因果に非ざるなり、五百塵点の法門とは此の事を説かれたり、本因の因というは下種の題目なり、本果の果とは成仏なり、因と云うは信心領納の事なり、此の経を持ち奉る時を本因とす其の本因のまま成仏なりと云うを本果とは云うなり、日蓮が弟子檀那の肝要は本果より本因を宗とするなり、本因なくしては本果有る可からず、仍て本因とは慧の因にして名字即の位なり、本果は果にして究竟即の位なり、究竟即とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり、神力品に云く若しは山谷曠野等と説けり即ち是れ道場と見えたり豈法華の行者の住所は生処得道転法輪入涅槃の諸仏の四処の道場に非ずや。


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