<前
P0926 次>去る文永八年太歳辛未九月のころより御勘気をかほりて北国の海中佐渡の嶋にはなたれたりしかば、なにとなく相州鎌倉に住しには生国なれば安房の国はこひしかりしかども我が国ながらも人の心もいかにとやむつびにくくありしかば、常にはかよう事もなくしてすぎしに御勘気の身となりて死罪となるべかりしが、しばらく国の外にはなたれし上はをぼろげならではかまくらへはかへるべからず、かへらずば又父母のはかをみる身となりがたしとをもひつづけしかば、いまさらとびたつばかりくやしくてなどかかかる身とならざりし時日にも月にも海もわたり山をもこえて父母のはかをもみ師匠のありやうをもとひをとづれざりけんとなげかしくて、彼の蘇武が胡国に入りて十九年かりの南へとびけるをうらやみ、仲丸が日本国の朝使としてもろこしにわたりてありしがかへされずしてとしを経しかば月の東に出でたるをみて、我が国みかさの山にも此の月は出でさせ給いて故里の人も只今月に向いてながむらんと心をすましてけり、此れもかくをもひやりし時我が国より或人のびんにつけて衣をたびたりし時彼の蘇武がかりのあし此れは現に衣ありにるべくもなく心なぐさみて候しに、日蓮はさせる失あるべしとはをもはねども此の国のならひ念仏者と禅宗と律宗と真言宗にすかされぬるゆへに法華経をば上にはたうとむよしをふるまい心には入らざるゆへに、日蓮が法華経をいみじきよし申せば威音王仏の末の末法に不軽菩薩をにくみしごとく上一人より下万人にいたるまで名をもきかじまして形をみる事はをもひよらず、さればたとひ失なくともかくなさるる上はゆるしがたし、
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