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P0975 次>此れ偏に日蓮が貴尊なるに非ず法華経の御力の殊勝なるに依るなり、身を挙ぐれば慢ずと想い身を下せば経を蔑る松高ければ藤長く源深ければ流れ遠し、幸なるかな楽しいかな穢土に於て喜楽を受くるは但日蓮一人なる而已。
/ 建治二年 五十五歳御作
鵞目一貫並びにつつひとつ給い候い了んぬやのはしる事は弓のちからくものゆくことはりうのちから、をとこのしわざはめのちからなり、いまときどの(富木殿)のこれへ御わたりある事尼ごぜんの御力なり、けぶりをみれば火をみるあめをみればりうをみる、をとこをみればめをみる、今ときどのにけさんつかまつれば尼ごぜんをみたてまつるとをぼう、ときどの(富木殿)の御物がたり候はこのはわのなげきのなかにりんずうのよくをはせしと尼がよくあたりかんびやうせし事のうれしさいつのよにわするべしともをぼえずとよろこばれ候なり、なによりもおぼつかなき事は御所労なり、かまえてさもと三年はじめのごとくにきうじせさせ給へ、病なき人も無常まぬかれがたし但しとしのはてにはあらず、法華経の行者なり非業の死にはあるべからずよも業病にては候はじ、設い業病なりとも法華経の御力たのもし、阿闍世王は法華経を持ちて四十年の命をのべ陳臣は十五年の命をのべたり、尼ごぜん又法華経の行者なり御信心月のまさるがごとくしをのみつがごとし、いかでか病も失せ寿ものびざるべきと強盛にをぼしめし身を持し心に物をなげかざれ、なげき出来る時はゆきつしまの事だざひふ(太宰府)の事かまくらの人人の天の楽のごとにありしが、当時つくしへむかへばとどまるめこゆくをとこ、はなるるときはかわをはぐがごとくかをとかをとをとりあわせ目と目とをあわせてなげきしが、次第にはなれてゆいのはまいなぶらこしごえさかわはこねさか(箱根坂)一日二日すぐるほどに、あゆみあゆみとをざかるあゆみをかわも山もへだて雲もへだつれば
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