日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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曾谷殿御返事 /弘安二年八月 五十八歳御作

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あるいは臣の位あるいはさふらいのくらいあるいはたみの位なりけるを或は般若経は法華経にはすぐれたり三論宗或は深密経は法華経にすぐれたり法相宗或は華厳経は法華経にすぐれたり華厳宗或は律宗は諸宗の母なりなんど申して一人として法華経の行者なし、世間に法華経を読誦するは還つてをこつきうしなうなり、「之に依つて天もいかり守護の善神も力よはし」云云、所謂「法華経をほむといえども返つて法華の心をころす」等云云、南都七大寺十五大寺日本国中の諸寺諸山の諸僧等此のことばをききてをほきにいかり天竺の大天漢土の道士我が国に出来せり所謂最澄と申す小法師是なり、せんする所は行きあはむずる処にてかしらをわれかたをきれをとせうてのれと申せしかども桓武天皇と申す賢王たづねあきらめて六宗はひが事なりけりとて初めてひへい山をこんりうして天台法華宗とさだめをかせ円頓の戒を建立し給うのみならず、七大寺十五大寺の六宗の上に法華宗をそへをかる、せんする所六宗を法華経の方便となされしなり、れいせば神の仏にまけて門まほりとなりしがごとし、日本国も又又かくのごとし法華最第一の経文初めて此の国に顕れ給い能竊為一人説法華経の如来の使初めて此の国に入り給いぬ、桓武平城嵯峨の三代二十余年が間は日本一州皆法華経の行者なり、しかれば栴檀には伊蘭釈尊には提婆のごとく伝教大師と同時に弘法大師と申す聖人出現せり、漢土にわたりて大日経真言宗をならい日本国にわたりてありしかども伝教大師の御存生の御時はいたう法華経に大日経すぐれたりといふ事はいはざりけるが、伝教大師去ぬる弘仁十三年六月四日にかくれさせ給いてのちひまをえたりとやをもひけん、弘法大師去ぬる弘仁十四年正月十九日に真言第一華厳第二法華第三法華経は戯論の法無明の辺域天台宗等は盗人なりなんど申す書どもをつくりて、嵯峨の皇帝を申しかすめたてまつりて七宗に真言宗を申しくはえて七宗を方便とし真言宗は真実なりと申し立て畢んぬ。

其の後日本一州の人ごとに真言宗になりし上其の後又伝教大師の御弟子慈覚と申す人漢土にわたりて天台真言の二宗の奥義をきはめて帰朝す、


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