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P1170 次>法華経本迹相対して論ずるに迹門は尚始成正覚の旨を明す故にいまだ留難かかれり、本門はかかる留難を去りたり然りと雖も題目の五字に相対する時は末法の機にかなはざる法なり、真実一切衆生色心の留難を止むる秘術は唯南無妙法蓮華経なり。
%四条金吾殿御返事 日蓮
/建治三年九月 五十六歳御作
+ 与四条金吾
白小袖一領銭一ゆひ又富木殿の御文のみなによりもかきなしなまひじきひるひじきやうやうの物うけ取りしなじな御使にたび候いぬ、さてはなによりも上の御いたはりなげき入つて候、たとひ上は御信用なき様に候へどもとの其の内にをはして其の御恩のかげにて法華経をやしなひまいらせ給い候へば偏に上の御祈とぞなり候らん、大木の下の小木大河の辺の草は正しく其の雨にあたらず其の水をえずといへども露をつたへいきをえてさかうる事に候。
此れもかくのごとし、阿闍世王は仏の御かたきなれども其の内にありし耆婆大臣仏に志ありて常に供養ありしかば其の功大王に帰すとこそ見へて候へ、仏法の中に内薫外護と申す大なる大事ありて宗論にて候、法華経には「我深く汝等を敬う」涅槃経には「一切衆生悉く仏性有り」馬鳴菩薩の起信論には「真如の法常に薫習するを以ての故に
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