<前
P1175 次>/建治四年一月 五十七歳御作
鷹取のたけ身延のたけなないたがれのたけいいだにと申し、木のもとかやのねいわの上土の上いかにたづね候へどもをひて候ところなし、されば海にあらざればわかめなし山にあらざればくさびらなし、法華経にあらざれば仏になる道なかりけるかこれはさてをき候いぬ、なによりも承りてすずしく候事はいくばくの御にくまれの人の御出仕に人かずにめしぐせられさせ給いて、一日二日ならず御ひまもなきよしうれしさ申すばかりなし、えもん(右衛門)のたいうのをやに立ちあひて上の御一言にてかへりてゆりたると殿のすねんが間のにくまれ去年のふゆはかうとききしにかへりて日日の御出仕の御ともいかなる事ぞ、ひとへに天の御計い法華経の御力にあらずや、其の上円教房の来りて候いしが申し候は、えまの四郎殿の御出仕に御とものさふらい二十四五其の中にしうはさてをきたてまつりぬ、ぬしのせいといひかをたましひむま下人までも中務のさえもんのじやう(左衛門尉)第一なり、あはれをとこ(天晴男)やをとこやとかまくらわらはべはつじちにて申しあひて候しとかたり候。
これにつけてもあまりにあやしく候、孔子は九思一言周公旦は浴する時は三度にぎり食する時は三度はかせ給う、古の賢人なり今の人のかがみなり、されば今度はことに身をつつしませ給うべし、よるはいかなる事ありとも一人そとへ出でさせ給うべからず、たとひ上の御めし有りともまづ下人をこそへつかわして、なひなひ一定をききさだめてはらまきをきてはちまきし、先後左右に人をたてて出仕し御所のかたわらに心よせのやかたか又我がやかたかにぬぎをきてまいらせ給うべし、家へかへらんにはさきに人を入れてとのわきはしのしたむまやのしりたかどの一切くらきところをみせて入るべし
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