<前
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人のさけたばんと申すともあやしみてあるひは言をいだしあるひは用いることなかれ、又御をととどもには常はふびんのよしあるべし、つねにゆせにざうりのあたいなんど心あるべし、もしやの事のあらむにはかたきはゆるさじ、我がためにいのちをうしなはんずる者ぞかしとをぼして、とがありともせうせうの失をばしらぬやうにてあるべし、又女るひはいかなる失ありとも一向に御けうくんまでもあるべからず、ましていさかうことなかれ、涅槃経に云く「罪極て重しと雖も女人に及ぼさず」等云云、文の心はいかなる失ありとも女のとがををこなはざれ、此れ賢人なり此れ仏弟子なりと申す文なり、此の文は阿闍世王父を殺すのみならず母をあやまたむとせし時耆婆月光の両臣がいさめたる経文なり、我が母心ぐるしくをもひて臨終までも心にかけしいもうとどもなければ失をめんじて不便というならば母の心やすみて孝養となるべしとふかくおぼすべし、他人をも不便というぞかしいわうやをとをとどもをや、もしやの事の有るには一所にていかにもなるべし、此等こそとどまりゐてなげかんずればをもひでにとふかくをぼすべし、かやう申すは他事はさてをきぬ、雙六は二ある石はかけらず、鳥の一の羽にてとぶことなし、将門さだたふがやうなりしいふしやうも一人は叶わず、されば舎弟等を子とも郎等ともうちたのみてをはせば、もしや法華経もひろまらせ給いて世にもあらせ給わば一方のかたうどたるべし。
すでにきやうのだいり院のごそかまくらの御所並に御うしろみの御所一年が内に二度正月と十二月とにやけ候いぬ、
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