日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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星名五郎太郎殿御返事 /文永四年十二月 四十六歳御作

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善導法然も是に例して知んぬべし、誰か智慧有らん人此の謗法の流を汲んで共に阿鼻の焔にやかれん、行者能く畏るべし此れは是れ大邪見の輩なり、所以に如来誠諦の金言を按ずるに云く「我が正法をやぶらん事は譬えば猟師の身に袈裟をかけたるが如し、或は須陀・斯那含阿那含阿羅漢 辟支仏及び仏の色身を現じて我が正法を壊らん」といへり。

 今此の善導法然等は種種の威を現じて愚癡の道俗をたぶらかし如来の正法を滅す、就中彼の真言等の流れ偏に現在を以て旨とす、所謂畜類を本尊として男女の愛法を祈り荘園等の望をいのる、是くの如き少分のしるしを以て奇特とす、若し是を以て勝れたりといはば彼の月氏の外道等にはすぎじ、彼の阿竭多仙人は十二年の間恒河の水を耳にただへたりき、又耆菟仙人の四大海を一日の中にすひほし、×留外道は八百年の間石となる豈是にすぎたらんや、又瞿曇仙人が十二年の程釈身と成り説法せし、弘法が刹那の程にびるさな(毘盧舎那)の身と成りし、其の威徳を論ぜば如何、若し彼の変化のしるしを信ぜば即ち外道を信ずべし当に知るべし彼れ威徳ありといへども猶阿鼻の炎をまぬがれず、況やはづかの変化にをいてをや況や大乗誹謗にをいてをや、是一切衆生の悪知識なり近付くべからず畏る可し畏る可し、仏の曰く「悪象等に於ては畏るる心なかれ悪知識に於ては畏るる心をなせ、何を以ての故に悪象は但身をやぶり意をやぶらず悪知識は二共にやぶる故に、此の悪象等は但一身をやぶる悪知識は無量の身無量の意をやぶる、悪象等は但不浄の臭き身をやぶる悪知識は浄身及び浄心をやぶる、悪象は但肉身をやぶる悪知識は法身をやぶる、悪象の為にころされては三悪に至らず悪知識の為に殺されたるは必ず三悪に至る、此の悪象は但身の為のあだなり、悪知識は善法の為にあだなり」と、故に畏る可きは大毒蛇悪鬼神よりも弘法善導法然等の流の悪知識を畏るべし、略して邪見の失を明すこと畢んぬ。

 此の使あまりに急ぎ候ほどにとりあへぬさまにかたはしばかりを申し候、此の後又便宜に委く経釈を見調べてかくべく候、穴賢穴賢、外見あるべからず候若命つれなく候はば仰せの如く明年の秋下り候て且つ申すべく候、恐恐。


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満月城岡山ポケット版御書