日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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日妙聖人御書

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彼の功徳を全体うけとる故なり、経に云く「如我等無異」等云云、法華経を心得る者は釈尊と斉等なりと申す文なり、譬えば父母和合して子をうむ子の身は全体父母の身なり誰か是を諍うべき、牛王の子は牛王なりいまだ師子王とならず、師子王の子は師子王となるいまだ人王天王等とならず、今法華経の行者は其中衆生悉是吾子と申して教主釈尊の御子なり、教主釈尊のごとく法王とならん事難かるべからず、但し不孝の者は父母の跡をつがず尭王には丹朱と云う太子あり舜王には商均と申す王子あり、二人共に不孝の者なれば父の王にすてられて現身に民となる、重華と禹とは共に民の子なり孝養の心ふかかりしかば尭舜の二王召して位をゆづり給いき、民の身忽ち玉体にならせ給いき、民の現身に王となると凡夫の忽に仏となると同じ事なるべし、一念三千の肝心と申すはこれなり、なをいかにとしてか此功徳をばうべきぞ、楽法梵志雪山童子等のごとく皮をはぐべきか身をなぐべきか臂をやくべきか等云云、章安大師云く「取捨宜しきを得て一向にすべからず」等これなり、正法を修して仏になる行は時によるべし、日本国に紙なくば皮をはぐべし、日本国に法華経なくて知れる鬼神一人出来せば身をなぐべし、日本国に油なくば臂をもともすべし、あつき紙国に充満せり皮をはいでなにかせん、然るに玄奘は西天に法を求めて十七年十万里にいたれり、伝教御入唐但二年なり波涛三千里をへだてたり。

 此等は男子なり上古なり賢人なり聖人なりいまだきかず女人の仏法をもとめて千里の路をわけし事を、竜女が即身成仏も摩訶波闍波提比丘尼の記×にあづかりしも、しらず権化にやありけん、又在世の事なり、男子女人其の性本より別れたり火はあたたかに水はつめたし海人は魚をとるにたくみなり山人は鹿をとるにかしこし、女人は物をそねむにかしこしとこそ経文にはあかされて候へ、いまだきかず仏法にかしこしとは、女人の心を清風に譬えたり風はつなぐともとりがたきは女人の心なり、女人の心をば水にゑがくに譬えたり、水面には文字とどまらざるゆへなり、女人をば誑人にたとへたり、或時は実なり或時は虚なり、女人をば河に譬えたり


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満月城岡山ポケット版御書