日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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内房女房御返事

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又云く「嗚呼閻浮の露庭に白骨仮りに塵土と成るとも霊山の界上に亡魂定んで覚蕊を開かん」又云く「弘安三年女弟子大中臣氏敬白す」等云云。

 夫れ以れば一乗妙法蓮華経は月氏国にては一由旬の城に積み日本国にては唯八巻なり、然るに現世後生を祈る人或は八巻或は一巻或は方便寿量或は自我偈等を読誦し讃歎して所願を遂げ給ふ先例之多し此は且らく之を置く、唱へ奉る妙法蓮華経の題名五万返と云云、此の一段を宣べんと思いて先例を尋ぬるに其の例少なし、或は一返二返唱へて利生を蒙る人粗これ有るか、いまだ五万返の類を聞かず、但し一切の諸法に亘りて名字あり其の名字皆其の体徳を顕はせし事なり、例せば石虎将軍と申すは石の虎を射徹したりしかば石虎将軍と申す、的立の大臣と申すは鉄的を射とをしたりしかば的立の大臣と名く、是皆名に徳を顕はせば今妙法蓮華経と申し候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候、譬へば如意宝珠の玉に万の宝を収めたるが如し、一塵に三千を尽す法門是なり、南無と申す字は敬う心なり随う心なり、故に阿難尊者は一切経の如是の二字の上に南無等云云、南岳大師云く南無妙法蓮華経云云、天台大師云く稽首南無妙法蓮華経云云、阿難尊者は斛飯王の太子教主釈尊の御弟子なり、釈尊御入滅の後六十日を過ぎて迦葉等の一千人文殊等の八万人大閣講堂にして集会し給いて仏の別を悲しみ給ふ上、我等は多年の間随逐するすら六十日の間の御別を悲しむ、百年千年乃至末法の一切衆生は何をか仏の御形見とせん、六師外道と申すは八百年以前に二天三仙等の説き置きたる四韋陀十八大経を以てこそ師の名残とは伝へて候へ、いざさらば我等五十年が間一切の声聞大菩薩の聞き持ちたる経経を書き置きて未来の衆生の眼目とせんと僉議して、阿難尊者を高座に登せて仏を仰ぐ如く、下座にして文殊師利菩薩南無妙法蓮華経と唱へたりしかば、阿難尊者此れを承け取りて如是我聞と答ふ、九百九十九人の大阿羅漢等は筆を染めて書き留め給いぬ、一部八巻二十八品の功徳は此の五字に収めて候へばこそ文殊師利菩薩かくは唱へさせ給うらめ、


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満月城岡山ポケット版御書