日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

実相寺御書 /建治四年正月十六日

<前 P1453 次>


涅槃は末代の凡夫の見思の病重く一実を定執して方便を誹謗し甘露を服すと雖も事に即して真なる能わず命を傷つけて早夭するが為の故に戒定慧を扶けて大涅槃を顕す、法華の意を得れば涅槃に於て次第の行を用いざるなり」釈籤の四に云く「次の料簡の中扶戒定慧と言うは事戒事定前三教の慧並びに事法を扶くるが為の故なり具には止観の対治助開の中に説くが如し、今時の行者或は一向に理を尚ぶときは則ち己れ聖に均しと謂い及び実を執して権を謗ず、或は一向に事を尚ぶときは則ち功を高位に推り及び実を謗じて権を許す、既に末代に処して聖旨を思わず其れ誰か斯の二の失に堕せざらん、法華の意を得れば則ち初後倶に頓なり、請う心を揣り臆を撫で自ら浮沈を暁れ」と等云云、此の釈に迷惑する者か、此の釈の所詮は或は一向尚理とは達磨宗に等しきなり、及び執実謗権とは華厳宗真言宗なり、或は一向尚事とは浄土宗律宗なり、及び謗実許権とは法相宗なり。

 夫れ法華経の妙の一字に二義有り一は相待妙・を破して妙を顕す二は絶待妙・を開して妙を顕す、爾前の諸経並びに法華已後の諸経は破・顕妙の一分之を説くと雖も開・顕妙は全く之無し、爾るに諸経に依憑する人師彼れ彼れの経経に於て破顕の二妙を存し或は天台の智慧を盗み或は民の家に天下を行うのみ、設い開・を存すと雖も破の義免れ難きか、何に況や上に挙ぐる所の一向執権或は一向執実等の者をや、而るに彼の阿闍梨等は自科を顧みざる者にして嫉妬するの間自眼を回転して大山を眩ると観るか、先ず実を以て権を破し権執を絶して実に入るは釈迦多宝十方の諸仏の常儀なり、実を以て権を破する者を盲目と為せば釈尊は盲目の人か乃至天台伝教は盲目の人師なるか如何、笑う可し返す返す。

 四十九院等の事、彼の別当等は無智の者たる間日蓮に向かつて之を恐る小田一房等怨を為すか弥彼等が邪法滅す可き先兆なり、根露るれば枝枯れ源竭れば流れ尽くと云う本文虚しからざるか、弘法慈覚智証三大師の法華経誹謗の大科四百余年の間隠せる根露れ枝枯る、今日蓮之を糾明せり拘留外道が石と為つて数百年、陳那菩薩に責められ石即ち水と為る、


<前 P1453 次>


満月城岡山ポケット版御書