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P1464 次>かれだにもつよるならば国はほろぶとも謗法はうすくなりなん、譬へば灸治をしてやまいをいやし針治にて人をなをすがごとし、当時はなげくとも後は悦びなり、日蓮は法華経の御使い日本国の人人は大族王の一閻浮提の仏法を失いしがごとし、蒙古国は雪山の下王のごとし天の御使として法華経の行者をあだむ人人を罰せらるるか、又現身に改悔ををこしてあるならば阿闍世王の仏に帰して白癩をやめ四十年の寿をのべ無根の信と申す位にのぼりて現身に無生忍をえたりしがごとし、恐恐謹言。
= 八 月 六 日 日 蓮 花 押
/建冶三年三月 五十六歳御作
白米三斗油一・給ひ畢んぬいまにはじめぬ御心ざし申しつくしがたく候日蓮が悦び候のみならず釈迦仏定めて御悦び候らん、我則歓喜諸仏亦然は是なり、明日三位房をつかはすべく候、その時委細申すべく候、恐恐。
= 建治三年丁丑三月十九日 日 蓮 花 押
% 六郎次郎殿
% 次郎兵衛殿
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