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% くぼの尼御前御返事
このなかの御くやうのものはところところ略して法門を書写し畢んぬ。
/弘安二年十一月 五十八歳御作
御そうぜんれう(僧・料)送り給い了んぬ、すでに故入道殿のかくるる日にておはしけるか、とかうまぎれ候いけるほどにうちわすれて候いけるなり、よもそれにはわすれ給はじ。
蘇武と申せし男は漢王の御使に胡国と申す国に入りて十九年めもおとこをはなれおとこもわするる事なし、あまりのこひしさにおとこの衣を秋ごとにきぬたのうへにてうちけるがおもひやとをりてゆきにけんおとこのみみにきこへたり、ちんしといいしものはめおとこはなれけるにかがみをわりてひとつづつとりにけり、わするる時はとりとび去りけり、さうしといゐしものはおとこをこひてはかにいたりて木となりぬ、相思樹と申すはこの木なり、大唐へわたるにしがの明神と申す神をはすおとこのもろこしへゆきしをこひて神となれりしまのすがたおうなににたり、まつらさよひめ(松浦佐与姫)といふ是なり、いにしへよりいまにいたるまでをやこのわかれ主従のわかれいづれかつらからざる、されどもおとこをんなのわかれほどたとげなかりけるはなし、過去遠遠より女の身となりしがこのおとこ娑婆最後のぜんちしき(善知識)なりけり。
ちりしはなをちしこのみもさきむすぶいかにこ人の返らざるらむ。
こぞもうくことしもつらき月日かなおもひはいつもはれぬものゆへ。
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