日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

[目次]

南条兵衛七郎殿御書 /文永元年十二月

<前 P1498 次>


よくよくゆはき事なり、法然善導等がかきをきて候ほどの法門は日蓮らは十七八の時よりしりて候いき、このごろの人の申すもこれにすぎず、結句は法門はかなわずしてよせてたたかひにし候なり、念仏者は数千万かたうど多く候なり、日蓮は唯一人かたうどは一人もこれなし、今までもいきて候はふかしぎ(不可思議)なり、今年も十一月十一日安房の国東条の松原と申す大路にして、申酉の時数百人の念仏等にまちかけられて候いて、日蓮は唯一人十人ばかりものの要にあふものはわづかに三四人なり、いるやはふるあめのごとしうつたちはいなづまのごとし、弟子一人は当座にうちとられ二人は大事のてにて候、自身もきられ打たれ結句にて候いし程に、いかが候いけんうちもらされていままでいきてはべり、いよいよ法華経こそ信心まさり候へ、第四の巻に云く「而も此の経は如来の現在すら猶怨嫉多し況や滅度の後をや」第五の巻に云く「一切世間怨多くして信じ難し」等云云、日本国に法華経よみ学する人これ多し、人の妻をねらひぬすみ等にて打はらるる人は多けれども法華経の故にあやまたるる人は一人もなし、されば日本国の持経者はいまだ此の経文にはあわせ給はず唯日蓮一人こそよみはべれ我不愛身命但惜無上道是なりされば日蓮は日本第一の法華経の行者なり。

 もしさきにたたせ給はば梵天帝釈四大天王閻魔大王等にも申させ給うべし、日本第一の法華経の行者日蓮房の弟子なりとなのらせ給へ、よもはうしんなき事は候はじ、但一度は念仏一度は法華経となへつ二心ましまし人の聞にはばかりなんどだにも候はばよも日蓮が弟子と申すとも御用ゐ候はじ後にうらみさせ給うな、但し又法華経は今生のいのりともなり候なれば、もしやとしていきさせ給い候はばあはれとくとく見参してみづから申しひらかばや、語はふみにつくさずふみは心をつくしがたく候へばとどめ候いぬ、恐恐謹言。

= 文永元年十二月十三日                    日蓮花押

%  なんでうの七郎殿


<前 P1498 次>


満月城岡山ポケット版御書