<前
P1507 次>/文永十一年七月 五十三歳御作
鵞目十連かわのり二帖しやうかう二十束給候い畢んぬかまくらにてかりそめの御事とこそをもひまいらせ候いしに、をもひわすれさせ給わざりける事申すばかりなし、こうへのどの(故上野殿)だにもをはせしかばつねに申しうけ給わりなんとなげきをもひ候いつるに、をんかたみ(御遺愛)に御みをわかくしてとどめをかれけるかすがたのたがわせ給わぬに、御心さひにられける事いうばかりなし、法華経にて仏にならせ給いて候とうけ給わりて、御はかにまいりて候いしなり、又この御心ざし申すばかりなし、今年のけかちにはじめたる山中に木のもとにこのはうちしきたるやうなるすみかをもひやらせ給え、このほどよみ候御経の一分をことのへ廻向しまいらし候、あわれ人はよき子はもつべかりけるものかなと、なみだかきあえずこそ候いし、妙荘厳王は二子にみちびかる、かの王は悪人なり、こうへの(故上野)どのは善人なり、かれにはにるべくもなし、南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経。
= 七月二十六日 日蓮花押
% 御返事
人にあながちにかたらせ給うべからず、若き殿が候へば申すべし。
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