<前
P1598 次>かゆへに大国の王は民ををやとし民は食を天とすとかかれたり、食には三の徳あり、一には命をつぎ二にはいろをまし三には力をそう、人に物をほどこせば我が身のたすけとなる、譬へば人のために火をともせば我がまへあきらかなるがごとし、悪をつくるものをやしなへば命をますゆへに気ながし、色をますゆへに眼にひかりあり、力をますゆへにあしはやくてきく、かるがゆへに食をあたへたる人かへりていろもなく気もゆわく力もなきほうをうるなり。
一切経と申すは紙の上に文字をのせたり、譬へば虚空に星月のつらなり大地に草木の生ぜるがごとし、この文字は釈迦如来の気にも候なり、気と申すは生気なりこの生気に二あり、一には九界。
一定と証伏せられ候いしかば其の後の智人かずをしらず候へども今に四百歳が間さで候なり、かるがゆへに今に日本国の寺寺一万余三千余の社社四十九億九万四千八百二十八人の一切衆生皆彼の三大師の御弟子となりて法華最第一の経文最第二最第三とをとされて候なり、されども始は失なきやうにて候へどもつゆつもりて大海となりちりつもりて大山となる。
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