<前
P1601 次>先ず日蓮聖人の本意は法華本門に於ては曾つて異義有るべからざるの処、其の整足の弟子等忽に異趣を起して法門改変す況や末学等に於ては面面異轍を生ぜり、故に日興の門葉に於ては此の旨を守つて一同に興行せしむべきの状仍つて之を録す。
一、聖人御在生の時弟子六人を定むる事、[弘安五年十月 日 之を定む]
一 日昭 弁阿闍梨
二 日朗 大国阿闍梨
三 日興 白蓮阿闍梨
四 日向 佐渡阿闍梨
五 日頂 伊予阿闍梨
六 日持 蓮華阿闍梨
此の六人の内五人と日興一人と和合せざる由緒条条の事。
一、五人一同に云く、日蓮聖人の法門は天台宗なり、仍つて公所に捧ぐる状に云く天台沙門と云云、又云く先師日蓮聖人天台の余流を汲むと云云、又云く桓武聖代の古風を扇いで伝教大師の余流を汲み法華宗を弘めんと欲す云云。
日興が云く、彼の天台伝教所弘の法華は迹門なり今日蓮聖人の弘宣し給う法華は本門なり、此の旨具に状に載せ畢んぬ、
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