日蓮大聖人御書
ネット御書
(一代聖教大意)
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 妙法蓮華経妙は天台玄義に云く「言う所の妙とは妙は不可思議に名くるなり」と、又云く「秘密の奥蔵を発く之を称して妙と為す」と、又云く「妙とは最勝修多羅甘露の門なり故に妙と言うなり」と、法は玄義に云く「言う所の法とは十界十如権実の法なり」、又云く「権実の正軌を示す故に号して法と為す」と、蓮華は玄義に云く「蓮華とは権実の法に譬うるなり」、又云く「久遠の本果を指す之を喩うるに蓮を以てし不二の円道に会す之を譬うるに華を以てす」文、経は又云く「声仏事を為す之を称して経と為す」文、私に云く法華以前の諸経に小乗は心生ずれば六界心滅すれば四界なり、通教以て是くの如し、爾前の別円の二教は心生の十界なり小乗の意は六道四生の苦楽は衆生の心より生ずと習うなりされば心滅すれば六道の因果は無きなり、大乗の心より十界を生ず、華厳経に云く「心は工なる画師の如く種種の五陰を造る一切世界の中に法として造らざること無し」文、造種種五陰とは十界の五陰なり仏界をも心法をも造ると習う心が過去現在未来の十方の仏と顕ると習うなり、華厳経に云く「若し人三世一切の仏を了知せんと欲せば当に是くの如く観すべし心は諸の如来を造ると」法華已前の経のおきては上品の十悪は地獄の引業中品の十悪は餓鬼の引業下品の十悪は畜生の引業五常は修羅の引業三帰五戒は人の引業三帰十善は六欲天の引業なり、有漏の坐禅は色界無色界の引業五戒八戒十戒十善戒二百五十戒五百戒の上に苦空無常無我の観は声聞縁覚の引業五戒八戒乃至三聚浄戒の上に六度四弘の菩提心を発すは菩薩なり仏界の引業なり、蔵通二教には仏性の沙汰なし但菩薩の発心を仏性と云う、別円二教には衆生に仏性を論ず但し別教の意は二乗に仏性を論ぜず、爾前の円教は別教に附して二乗の仏性の沙汰無し此等は皆法なり、今の妙法とは此等の十界を互に具すと説く時妙法と申す、十界互具と申す事は十界の内に一界に余の九界を具し十界互に具すれば百法界なり、玄の二に云く「又一法界に九法界を具すれば即ち百法界有り


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