日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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十章抄

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二乗は空観に著して大乗にすすまざりしかば仏誡めて云く五逆は仏のたね塵労の疇は如来の種二乗の善法は永不成と嫌わせ給いき、常楽我浄の義こそ外道はあしかりしかども名はよかりしぞかし、而れども仏名をいみ給いき、悪だに仏の種となるましてぜんはとこそをぼうれども仏二乗に向いては悪をば許して善をばいましめ給いき。

 当世の念仏は法華経を国に失う念仏なり、設いぜんたりとも義分あたれりというとも先ず名をいむべし、其の故は仏法は国に随うべし、天竺には一向小乗一向大乗大小兼学の国ありわかれたり、震旦亦復是くの如し、日本国は一向大乗の国大乗の中の一乗の国なり、華厳法相三論等の諸大乗すら猶相応せず何に況や小乗の三宗をや、而るに当世にはやる念仏宗と禅宗とは源方等部より事をこれり法相三論華厳の見を出ずべからず、南無阿弥陀仏は爾前にかぎる、法華経にをいては往生の行にあらず開会の後仏因となるべし、南無妙法蓮華経は四十余年にわたらず但法華八箇年にかぎる、南無阿弥陀仏に開会せられず法華経は能開念仏は所開なり、法華経の行者は一期南無阿弥陀仏と申さずとも南無阿弥陀仏並びに十方の諸仏の功徳を備えたり、譬えば如意宝珠の如し金銀等の財を備えたり、念仏は一期申すとも法華経の功徳をぐすべからず、譬へば金銀等の如意宝珠をかねざるがごとし、譬へば三千大世界に積みたる金銀等の財も一つの如意宝珠をばかうべからず、設い開会をさとれる念仏なりとも猶体内の権なり体内の実に及ばず、何に況や当世に開会を心得たる智者も少なくこそをはすらめ、設いさる人ありとも弟子眷属所従なんどはいかんがあるべかるらん、愚者は智者の念仏を申し給うをみては念仏者とぞ見候らん、法華経の行者とはよも候はじ、又南無妙法蓮華経と申す人をばいかなる愚者も法華経の行者とぞ申し候はんずらん、当世に父母を殺す人よりも謀反ををこす人よりも天台真言の学者と云はれて善公が礼讃をうたひ然公が念仏をさえづる人人はをそろしく候なり。


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