<前
P1304 次>/或文永九年三月十三日 五十一歳御作
+与阿仏房
御文委く披見いたし候い了んぬ、抑宝塔の御供養の物銭一貫文白米しなじなをくり物たしかにうけとり候い了んぬ、此の趣御本尊法華経にもねんごろに申し上げ候御心やすくおぼしめし候へ。
一御文に云く多宝如来涌現の宝塔何事を表し給うやと云云、此の法門ゆゆしき大事なり宝塔をことわるに天台大師文句の八に釈し給いし時証前起後の二重の宝塔あり、証前は迹門起後は本門なり或は又閉塔は迹門開塔は本門是れ即ち境智の二法なりしげきゆへにこれををく、所詮三周の声聞法華経に来て己心の宝塔を見ると云う事なり、今日蓮が弟子檀那又又かくのごとし、末法に入つて法華経を持つ男女のすがたより外には宝塔なきなり、若し然れば貴賎上下をえらばず南無妙法蓮華経ととなうるものは我が身宝塔にして我が身又多宝如来なり、妙法蓮華経より外に宝塔なきなり、法華経の題目宝塔なり宝塔又南無妙法蓮華経なり。
今阿仏上人の一身は地水火風空の五大なり、此の五大は題目の五字なり、然れば阿仏房さながら宝塔宝塔さながら阿仏房此れより外の才覚無益なり、聞信戒定進捨慚の七宝を以てかざりたる宝塔なり、多宝如来の宝塔を供養し給うかとおもへばさにては候はず我が身を供養し給う我が身又三身即一の本覚の如来なり、かく信じ給いて南無妙法蓮華経と唱え給へ、ここさながら宝塔の住処なり、経に云く「法華経を説くこと有らん処は我が此の宝塔其の前に涌現す」とはこれなり、あまりにありがたく候へば宝塔をかきあらはしまいらせ候ぞ、子にあらずんばゆづる事なかれ信心強盛の者に非ずんば見する事なかれ、出世の本懐とはこれなり。
阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし、浄行菩薩うまれかわり給いてや日蓮を御とふらい給うか不思議なり不思議なり、
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