日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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弥三郎殿御返事

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経文歴歴と候いしかば信じ進らせて候、此の事は各各設い我等が如くなる云うにかひなき者共を責めおどし或は所を追わせ給い候ともよも終には只は候はじ、此の御房の御心をば設い天照太神正八幡もよも随へさせ給ひ候はじ、まして凡夫をや、されば度度の大事にもおくする心なく弥よ強盛に御坐すと承り候と加様のすぢに申し給うべし。

 さて其の法師物申さば取り返してさて申しつる事は僻事かと返して釈迦仏は親なり師なり主なりと申す文法華経には候かと問うて有りと申さばさて阿弥陀仏は御房の親主師と申す経文は候かと責めて無しと云わんずるか又有りと云はんずるか若しさる経文有りと申さば御房の父は二人かと責め給へ、又無しといはばさては御房は親をば捨てて何に他人をもてなすぞと責め給へ、其の上法華経は他経には似させ給はねばこそとて四十余年等の文を引かるべし、即往安楽の文にかからばさて此れには先ずつまり給へる事は承伏かと責めてそれもとて又申すべし、構へて構へて所領を惜み妻子を顧りみ又人を憑みてあやぶむ事無かれ但偏に思い切るべし、今年の世間を鏡とせよ若干の人の死ぬるに今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり、此れこそ宇治川を渡せし所よ是こそ勢多を渡せし所よ名を揚るか名をくだすかなり、人身は受け難く法華経は信じ難しとは是なり、釈迦多宝十方の仏来集して我が身に入りかはり我を助け給へと観念せさせ給うべし、地頭のもとに召さるる事あらば先は此の趣を能く能く申さるべく候、恐恐謹言。

=建治三年丁丑八月四日                  日蓮花押

% 弥三郎殿御返事


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