<前
P1485 次>五十九歳御作
仏の御弟子の中にあなりち(阿那律)と申せし人はこくぼん王の御子いえにたからをみてておはしき、のちに仏の御でしとなりては天眼第一のあなりちとて三千大千世界を御覧ありし人、法華経の座にては普明如来とならせ給う、そのさきのよの事をたづぬればひえのはんを辟支仏と申す仏の弟子にくやうせしゆへなり、いまの比丘尼はあわのわさごめ山中にをくりて法華経にくやうしまいらせ給う、いかでか仏にならせ給はざるべき、恐恐謹言。
= 六月二十七日 日 蓮 花 押
% くぼの尼御前御返事
六十歳御作
しなじなのものをくり給て候。
善根と申すは大なるによらず又ちいさきにもよらず国により人により時によりやうやうにかわりて候、譬へばくそをほしてつきくだきふるいてせんだんの木につくり又女人天女仏につくりまいらせて候へども火をつけてやき候へばべちの香なしくそくさし、そのやうにものをころしぬすみをしてそのはつををとりて功徳善根をして候へどもかへりて悪となる。
須達長者と申せし人は月氏第一の長者ぎをん精舎をつくりて仏を入れまいらせたりしかども彼の寺焼けてあとなし、
<前
P1485 次>