日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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三沢抄 /建治四年二月

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 今は一こうなりいかなる大難にもこらへてんと我が身に当てて心みて候へば不審なきゆへに此の山林には栖み候なり、各各は又たといすてさせ給うとも一日かたときも我が身命をたすけし人人なればいかでか他人にはにさせ給うべき、本より我一人いかにもなるべし我いかにしなるとも心に退転なくして仏になるならばとのばらをば導きたてまつらむとやくそく申して候いき、各各は日蓮ほども仏法をば知らせ給わざる上俗なり、所領あり妻子あり所従ありいかにも叶いがたかるべし、只いつわりをろかにてをはせかしと申し候いきこそ候へけれ、なに事につけてかすてまいらせ候べきゆめゆめをろかのぎ候べからず。

 又法門の事はさどの国へながされ候いし已前の法門はただ仏の爾前の経とをぼしめせ、此の国の国主我が代をもたもつべくば真言師等にも召し合せ給はんずらむ、爾の時まことの大事をば申すべし、弟子等にもなひなひ申すならばひろうしてかれらしりなんず、さらばよもあわじとをもひて各各にも申さざりしなり。

 而るに去る文永八年九月十二日の夜たつの口にて頚をはねられんとせし時よりのちふびんなり、我につきたりし者どもにまことの事をいわざりけるとをもうてさどの国より弟子どもに内内申す法門あり、此れは仏より後迦葉阿難竜樹天親天台妙楽伝教義真等の大論師大人師は知りてしかも御心の中に秘せさせ給いし、口より外には出し給はず、其の故は仏制して云く「我が滅後末法に入らずば此の大法いうべからず」とありしゆへなり、日蓮は其の御使にはあらざれども其の時剋にあたる上存外に此の法門をさとりぬれば聖人の出でさせ給うまでまづ序分にあらあら申すなり、而るに此の法門出現せば正法像法に論師人師の申せし法門は皆日出でて後の星の光巧匠の後に拙を知るなるべし、此の時には正像の寺堂の仏像僧等の霊験は皆きへうせて但此の大法のみ一閻浮提に流布すべしとみへて候、各各はかかる法門にちぎり有る人なればたのもしとをぼすべし。

 又うつぶさの御事は御としよらせ給いて御わたりありしいたわしくをもひまいらせ候いしかども


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