日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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南条兵衛七郎殿御書 /文永元年十二月

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先判に付いて後判をもちゐぬ者にては候まじきか、此等は仏説を信じたりげには我身も人も思いたりげに候へども仏説の如くならば不孝の者なり。

 故に法華経の第二に云く「今此の三界は皆是れ我が有なり其の中の衆生は悉く是れ吾が子なり而も今此の処は諸の患難多し唯我一人のみ能く救護を為す復教詔すと雖も而も信受せず」等云云、此の文の心は釈迦如来は我等衆生には親なり師なり主なり、我等衆生のためには阿弥陀仏薬師仏等は主にてはましませども親と師とにはましまさず、ひとり三徳をかねて恩ふかき仏は釈迦一仏にかぎりたてまつる、親も親にこそよれ釈尊ほどの親師も師にこそよれ主も主にこそよれ釈尊ほどの師主はありがたくこそはべれ、この親と師と主との仰せをそむかんもの天神地祗にすてられたてまつらざらんや、不孝第一の者なり故に雖復教詔而不信受等と説かれたり、たとひ爾前の経につかせ給いて百千万億劫行ぜさせ給うとも法華経を一遍も南無妙法蓮華経と申させ給はずば不孝の人たる故に三世十方の聖衆にもすてられ天神地祗にもあだまれ給はんか[是一]。

 たとひ五逆十悪無量の悪をつくれる人も根だにも利なれば得道なる事これあり、提婆達多鴦崛摩羅等これなり、たとひ根鈍なれども罪なければ得道なる事これあり須利槃特等是なり、我等衆生は根の鈍なる事すりはんどくにもすぎ物のいろかたちをわきまへざる事羊目のごとし、貪瞋癡きわめてあつく十悪は日日にをかし五逆をばおかさざれども五逆に似たる罪又日日におかす、又十悪五逆にすぎたる謗法は人毎にこれあり、させる語を以て法華経を謗ずる人はすくなけれども人ごとに法華経をばもちゐず、又もちゐたるやうなれども念仏等のやうには信心ふかからず、信心ふかきものも法華経のかたきをばせめず、いかなる大善をつくり法華経を千万部読み書写し一念三千の観道を得たる人なりとも法華経の敵をだにもせめざれば得道ありがたし、たとへば朝につかふる人の十年二十年の奉公あれども君の敵をしりながら奏もせず私にもあだまずば奉公皆うせて還つてとがに行はれんが如し、


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満月城岡山ポケット版御書