<前
P1496 次>心なき草木すらところによる、まして心あらんもの何ぞ所によらざらん、されば玄奘三蔵の西域と申す文に天竺の国国を多く記したるに国の習として不孝なる国もあり孝の心ある国もあり瞋恚のさかんなる国もあり愚癡の多き国もあり、一向に小乗を用る国もあり一向大乗を用る国もあり大小兼学する国もありと見へ侍り、又一向に殺生の国一向に偸盗の国又穀の多き国又粟等の多き国不定あり、抑日本国はいかなる教を習つてか生死を離るべき国ぞと勘えたるに法華経に云く「如来の滅後に於て閻浮提の内に広く流布せしめ断絶せざらしむ」等云云、此の文の心は法華経は南閻浮提の人のための有縁の経なり、弥勒菩薩の云く「東方に小国有り唯だ大機のみ有り」等云云、此の論の文の如きは閻浮提の内にも東の小国に大乗経の機あるか、肇公の記に云く「茲の典は東北の小国に有縁なり」等云云、法華経は東北の国に縁ありとかかれたり、安然和尚の云く「我が日本国皆大乗を信ず」等云云、慧心の一乗要決に云く「日本一州円機純一」等云云、釈迦如来弥勒菩薩須梨耶蘇摩三蔵羅什三蔵僧肇法師安然和尚慧心の先徳等の心ならば日本国は純に法華経の機なり、一句一偈なりとも行ぜば必ず得道なるべし有縁の法なるが故なり、たとへばくろかねを磁石のすうが如し方諸の水をまねくににたり、念仏等の余善は無縁の国なり磁石のかねをすわず方諸の水をまねかざるが如し、故に安然の釈に云く「如実乗に非ずんば恐らくは自他を欺かん」等云云、此の釈の心は日本国の人に法華経にてなき法をさずくるもの我が身をもあざむき人をもあざむく者と見えたり、されば法は必ず国をかんがみて弘むべし、彼の国によかりし法なれば必ず此の国にもよかるべしとは思うべからず[是四]。
又仏法流布の国においても前後を勘うべし、仏法を弘むる習い必ずさきに弘めける法の様を知るべきなり、例せば病人に薬をあたふるにはさきに服したる薬の様を知るべし、薬と薬とがゆき合いてあらそひをなし人をそんずる事あり、仏法と仏法とがゆき合いてあらそひをなして人を損ずる事のあるなり、
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