日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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上野殿御返事/弘安二年四月二十日

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ただし彼は男をにくみて法華経をばにくまず、此れは法華経と日蓮とをにくむれば一身無間に入るべし、経に云く「其の人命終して阿鼻獄に入らん」と云々、手ばかり無間に入るまじとは見へず不便なり不便なり、ついには日蓮にあひて仏果をうべきか不軽菩薩の上慢の四衆のごとし。

 夫れ第五の巻は一経第一の肝心なり竜女が即身成仏あきらかなり、提婆はこころの成仏をあらはし竜女は身の成仏をあらはす、一代に分絶たる法門なり、さてこそ伝教大師は法華経の一切経に超過して勝れたる事を十あつめ給いたる中に即身成仏化導勝とは此の事なり、此の法門は天台宗の最要にして即身成仏義と申して文句の義科なり真言天台の両宗の相論なり、竜女が成仏も法華経の功力なり、文殊師利菩薩は唯常宣説妙法華経とこそかたらせ給へ、唯常の二字は八字の中の肝要なり、菩提心論の唯真言法中の唯の字と今の唯の字といづれを本とすべきや、彼の唯の字はをそらくはあやまりなり、無量義経に云く「四十余年未だ真実を顕さず」、法華経に云く「世尊の法は久しくして後に要当に真実を説きたもうべし」、多宝仏は皆是真実とて法華経にかぎりて即身成仏ありとさだめ給へり、爾前経にいかように成仏ありともとけ権宗の人人無量にいひくるふともただほうろく千につち一つなるべし、法華折伏破権門理とはこれなり、尤もいみじく秘奥なる法門なり。

 又天台の学者慈覚よりこのかた玄文止の三大部の文をとかくれうけんし義理をかまうとも去年のこよみ昨日の食のごとしけうの用にならず、末法の始の五百年に法華経の題目をはなれて成仏ありといふ人は仏説なりとも用ゆべからず、何に況や人師の義をや、爰に日蓮思ふやう提婆品を案ずるに提婆は釈迦如来の昔の師なり、昔の師は今の弟子なり今の弟子はむかしの師なり、古今能所不二にして法華経の深意をあらわす、されば悪逆の達多には慈悲の釈迦如来師となり愚癡の竜女には智慧の文殊師となり文殊釈迦如来にも日蓮をとり奉るべからざるか、日本国の男は提婆がごとく女は竜女にあひにたり、逆順ともに成仏を期すべきなり是れ提婆品の意なり。


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