日蓮大聖人御書全集 創価学会版
(ポケット版御書)

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上野殿御返事/弘安二年四月二十日

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 次に勧持品に八十万億那由佗の菩薩の異口同音の二十行の偈は日蓮一人よめり、誰か出でて日本国唐土天竺三国にして仏の滅後によみたる人やある、又我よみたりとなのるべき人なし又あるべしとも覚へず、及加刀杖の刀杖の二字の中にもし杖の字にあう人はあるべし刀の字にあひたる人をきかず、不軽菩薩は杖木瓦石と見えたれば杖の字にあひぬ刀の難はきかず、天台妙楽伝教等は刀杖不加と見えたれば是又かけたり、日蓮は刀杖の二字ともにあひぬ、剰へ刀の難は前に申すがごとく東条の松原と竜口となり、一度もあう人なきなり日蓮は二度あひぬ、杖の難にはすでにせうばう(少輔房)につらをうたれしかども第五の巻をもつてうつ、うつ杖も第五の巻うたるべしと云う経文も五の巻不思議なる未来記の経文なり、さればせうばうに日蓮数十人の中にしてうたれし時の心中には法華経の故とはをもへどもいまだ凡夫なればうたてかりける間つえをもうばひちからあるならばふみをりすつべきことぞかし、然れどもつえは法華経の五の巻にてまします。

 いまをもひいでたる事あり、子を思ふ故にやをやつぎの木の弓をもつて学文せざりし子にをしへたり、然る間此の子うたてかりしは父にくかりしはつぎの木の弓、されども終には修学増進して自身得脱をきわめ又人を利益する身となり、立ち還つて見ればつぎの木をもつて我をうちし故なり、此の子そとば(率塔婆)に此の木をつくり父の供養のためにたててむけりと見へたり、日蓮も又かくの如くあるべきか、日蓮仏果をえむに争かせうばう(少輔房)が恩をすつべきや、何に況や法華経の御恩の杖をや、かくの如く思ひつづけ候へば感涙をさへがたし。

 又涌出品は日蓮がためにはすこしよしみある品なり、其の故は上行菩薩等の末法に出現して南無妙法蓮華経の五字を弘むべしと見へたり、しかるに先日蓮一人出来す六万恒沙の菩薩よりさだめて忠賞をかほるべしと思へばたのもしき事なり、とにかくに法華経に身をまかせ信ぜさせ給へ、殿一人にかぎるべからず信心をすすめ給いて過去の父母等をすくわせ給へ。


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満月城岡山ポケット版御書