満月城岡山

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mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月29日(土)20時17分04秒

先生の指導から(抜粋)610      [首都圏代表協議会(下)]
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[◇「一閻浮提総与(いちえんぶだいそうよ)」が大聖人の精神]

一、さて、学会本部の第2別館には、「賞本門事戒壇正本堂建立」
と認(したた)められた御本尊が御安置されている。 御本尊の向か
って左側には「昭和四十九年一月二日」の日付とともに「法華講総
講頭 創価学会会長 池田大作」と、日達上人の筆で認められてい
る。 まさしく、「本門事(じ)の戒壇」たる正本堂が、創価学会の
三代によって「建立」された功労が、厳然と刻まれ留められた御本
尊である。 これは、大聖人の御遺命(ごゆいめい)を創価学会がす
べて実現してきたという、あまりにも尊極(そんごく)な証(あか)し
である。 

この「本門事の戒壇」たる正本堂を日顕は破壊したのだ。仏法史上、
これほどの悪逆はない。永劫(えいごう)に裁(さば)かれ、「若悩乱
者頭破作七分(にゃくのうらんしゃずはしちぶん)(若し悩乱せん者
は頭(こうべ)七分に破(わ)れん)」の断罪を受けていくことは、法
華経と御書に説かれる通りだ。 真実の歴史を消し去ることは、未
来永遠に、絶対にできない。「建立(こんりゅう)」の大功徳も、金
剛(こんごう)にして不壊(ふえ)である。 「賞本門事戒壇正本堂建
立」の御本尊は、その厳粛な証明である。

「一閻浮提総与」。すなわち、全世界の人々に授与する−−−これ
が大聖人の御精神である。大聖人直結の学会に怨嫉(おんしつ)し、
この「一閻浮提総与」の道を閉ざそうとしたのが邪宗門である。 
ブラジルの著名な作家クーニャは述べている。 「真実を偽造する
ことは、公(おおやけ)の精神を不安にすることである。私は、それ
を許すわけにはいかない」 「私はただ真実と思うことを常に言い
切っているのだ」 大聖人の仰せ通り、正義と真実を叫び抜き、邪
宗門を打ち破って、世界190の国や地域に「一閻浮提総与」の道
を開き切ってきたのが創価学会である。

       [◇管理者の皆様に心から感謝]

一、戸田先生は言われた。 「そもそも御本尊は、一閻浮提のため
の御本尊であられる。人々の闇を破る“全世界の太陽”である」 
「御本尊の絶大な哲理のお力を信ずることができるならば、世界の
広宣流布も必然なことです」 「やがて地球民族は、御本尊の存在
に気づいて渇仰(かつごう)するに決まっている。その人びとを、い
ったい誰が指導するかといえば、まず諸君たちである。また諸君た
ちの後輩や、子孫のなかにしか指導者は育たない」 その通りの時
代が到来したのである。 今や、日本はもとより、世界中に、広宣
流布の大法城が次々と完成している。これこそ、正義の勝利の城で
ある。 この尊き会館を毎日また毎日、厳然と護(まも)り抜いてく
ださっているのが、管理者の皆様方である。 きょうは、大変にお
世話になっている管理者の代表の方々も出席されている。改めて、
心から感謝申し上げたい(大拍手)。

         [◇「確信が大事だ」]

一、戸田先生は、力強く叫ばれた。 「自分には、御本尊を信じて
いるという偉大な力がある。どんな困難にぶつかっても、どんな境
遇になっても、またどんな時代になっても、必ず乗り切っていける
という信心がある。 この確信が大事だ。これが人生の宝である」
 わが関西の友も、御本尊への真剣な祈りを根本に、あらゆる戦い
を勝ち越えてこられた。 “まさか”を実現した、昭和31年(1
956年)の「大阪の戦い」も、師弟を貫く深き祈りから始まった。
当時、関西本部に常住されていたのは、「大法興隆所願成就(だい
ほうこうりゅうしょがんじょうじゅ)」とお認(したた)めの御本尊
である。 大法が興隆し、すべての願いも成就する−−−それが御
本尊の大功力(くりき)である。 今、この御本尊は、昨年完成した
関西池田記念会館の「池田記念講堂」に御安置されている。

戸田先生は師子吼なされた。 「宗教だけの道ならば、これほど気
楽で安全な道はないといってよい。しかし、あくまでも社会に貢献
する有能な社会人、妙法という偉大な哲学に目覚めた正真正銘の社
会人に成長し、思う存分に活躍してもらいのだ。 これが、乱れき
った末法における民衆救済の大道だからである。この道だけが、御
本尊の慈悲に通じているといってよい」 この大道を真っすぐに戦
い進む学会に、御本尊の仏力・法力は無量無辺である(大拍手)。

        [◇大難(だいなん)を越えて]

一、「仏」の別名は、パーリ語(古代インドの言語)で「ジナ」と
呼ばれる。これは、まさしく「勝利者」の意味である。 仏とは、
あらゆる魔の軍勢に勇敢に打ち勝つ「勝利者」のことなのである。
 そして、正法を信受する人々を、パーリ語では「ジナ・ブッダ」
と表現している。 これは、漢訳では「仏子」とされているが、直
訳すると「勝利者の子」という意義になる。 仏とは、「絶対に負
けない」生命である。「断じて勝つ」存在である。 そして仏は、
その絶対勝利の力を、民衆に伝え譲りゆくのである。 日蓮大聖人
は、「仏法と申すは勝負をさきとし」と仰せだ。

これは、730年前の建治3年(1277年)に四条金吾にあてら
れた御手紙の一節である。 この3年前の文永11年(1274年)、
大聖人は過酷な佐渡流罪を勝ち越え、鎌倉に戻られた。そして、幕
府の権力者であった平左衛門尉(へいのさえもんのじょう)に対して、
重ねて諌暁を行われたのである。 私たちが忘れてならないのは、
大聖人が、御自身の勝利の御姿(おすがた)を通して、弟子一同に
「仏法勝利」の真髄を教えておられることである。 建治2年(1
276年)には、四条金吾にたいして、こう述べておられる。 
日蓮もまた、(正法の力を根底に)この日天子(にってんし)を頼
みとして、日本国に立ち向かって数年になる。すでに日蓮は『勝っ
た』という気持ちである」(通解)

また、その前年、健気(けなげ)な信心を貫いていた女性の日妙聖人
に送られた「乙御前(おとごぜん)御消息」では、こう仰せである。
 「日蓮を日本国の上一人(かみいちにん)より下万民(しもばんみ
ん)に至るまで、一人の例外もなく害しようとしましたが、今まで
こうして無事に生きてくることができました。 これは、日蓮は一
人であっても、法華経を信じる心の強いゆえに諸天善神が守護され
たのであると思いなさい」(通解)


(つづく)
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聖教新聞2007年5月24日(木)2面
首都圏代表協議会での名誉会長のスピーチ(下)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月14日(金)20時01分38秒

こんばんは。満月です。明日から仕事で出張予定なので、次の投稿
は9月19日(水)の予定です。


先生の指導から(抜粋)609      [首都圏代表協議会(下)]
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             [◇]

一、人生は戦いだ。生涯、前進である。 ノーベル文学賞を受章し
た、イギリスの劇作家バーナード・ショーは語った。 「私は、完
全燃焼して、死んでいきたい。激務であればあるほど、私はより生
きるからである。 私は人生そのものに喜びを感ずるのだ」 桶狭
間(おけはざま)の戦いのドラマを、ある歴史書は、こう伝えている。
 織田信長が今川義元(よしもと)の軍勢を正面から攻めようとした
とき、家臣(かしん)たちは“道が進みづらい”とか“味方が少ない
ことが敵にわかってしまう”などと、必死に止めた。 しかし信長
は、決然と前進した。この戦(いくさ)で、彼は叫んでいる。 「小
勢(こぜい)だからといって大敵(たいてき)を恐れるな」 「何とし
ても敵を圧倒し追い崩(くず)せ」 「戦いに勝ちさえすれば、この
場に参加したものは家の面目、末代までの高名(こうみょう)である
ぞ。ひたすらに励めよ」(太田和泉守牛一著、榊山潤訳『信長公記
(上)』ニュートンプレス) 

じつは「小勢」とはいえ、信長が率(ひき)いた2000の軍勢は鍛
(きた)え抜かれた精鋭(せいえい)であった。そのような薫陶を受け
ていない今川勢は、信長勢の一丸となっての猛攻(もうこう)に、大
混乱となった。 信長の執念の大音声を放っての陣頭指揮のもと、
信長勢は今川義元の本陣をめがけて、猛然と攻めて攻めて攻め抜い
た。 戸田先生は、この一戦の勝因について、こう喝破(かっぱ)さ
れていた。 「どんなに多勢(たぜい)でも、団結がなければ戦(い
くさ)には負ける。信長軍は少数であったが、『敵の大将を討つ!』
という明確な目標に向って団結したから勝ったのだ」と。 団結こ
そ、勝利の根本の力である。 なかんずく、「破邪(はじゃ)」の一
念で一丸となった異体同心の団結ほど、強いものはない。

大聖人は仰せである。 「昔、中国の李広(りこう)将軍という武将
は、虎に母を食い殺されて、虎に似た石を射(い)たところ、矢は羽
ぶくら(矢の先と反対側についている羽根形(はねがた)の部分)ま
で石に突き刺さった。 しかし、あとで、それが石と知ってからは、
射(い)ても矢は石に立つことがなかったという。 それからのち、
人々は李広将軍のことを石虎(せっこ)将軍と呼ぶようになった」
(通解)


「破邪顕正」の執念の団結で戦い、幾たびも、広宣流布の勝利の歴
史を打ち立ててこられたのが、わが誉(ほま)れの中部の同志である
(大拍手)。

          [◇天下統一の力]

一、桶狭間では、信長自身が集め、鍛錬(たんれん)した人材が活躍
した。 信長は、家柄や出身地にかかわらず、力のある者を用い、
育て、生かしていったといわれる。 「人材の登用(とうよう)」を
原動力の一つとして、戦に勝ち、時代を変革し、天下統一を目指し
たのである。 天下統一を成し遂げた太閤(たいこう)・豊臣秀吉も、
後(のち)の加賀(かが)百万石(ごく)の大名・前田利家(としいえ)な
ども、信長が抜擢(ばってき)した人材である。

私が若き日に語り合った山岡荘八(そうはち)氏は、小説で「何より
も人材の発掘をもって第一とし、そこに革命の基点をおいている」
と、信長について記されている(『織田信長』講談社)。 戸田先
生は、「身分・地位が大切な時代が終焉(しゅうえん)し、下から天
下を取ることができた。実力主義の時代である」「時代の転換期で
あった」と、信長の時代を俯瞰(ふかん)されていた。 現在も、時
代の転換期である。 新しい人間を育てて、新しい学会をつくって
いくのだ。 人材を見つけ、人材を大切にし、人材を生かし切った
ところが勝つ時代である。

      [◇一つがだめなら次へ、また次へ]

一、山岡氏の小説の中で、信長は戒(いまし)めている。 「油断を
してはならぬぞ。人間には気のゆるみがいちばん毒じゃ」 さらに、
「彼(信長)は、いかなる場合にも前進をやめないのだ。一つの道
がふさがれると、次の通路を求め、さらにそれが塞(ふさ)がれると、
以前に数倍する強烈さで第三の道をめざしてゆく」とも描かれてい
る(同)。 信長の生涯は、油断のできない戦いの連続であった。
信長を敵視する包囲網(ほういもう)が敷かれたこともあった。 そ
うしたなか、一時の失敗や苦境に流されることなく、どんどん手を
打ち、速やかに戦いを進めて、勝ち抜いた。 

約200年前の韓国の思想家である丁若(チョンヤギョン)は、こ
う語っている。 「貧しさと困窮(こんきゅう)と苦労は、人の心を
鍛え、知恵と見識を広げてくれるものである。それは、世界や事物
に対する真実と偽(いつわ)りを正しく見抜く力を与える長所をもっ
ている」 苦難の連続を生き抜いた信長。彼の戦いの特徴は「スピ
ード」にあった。 「行動を起こす早さ」「進軍する速さ」「攻撃
する速さ」が指摘されている(谷口克広著『信長の天下布武への道』
吉川弘文館)。 戸田先生も、敵につけいる隙(すき)を与えない、
信長の戦いの「スピード」に注目された。 学会も電光石火のスピ
ードで勝ってきた。

      [◇関西と中部の“大連合”で前進]

一、さらに、戸田先生は、信長について「外交的にも手腕(しゅわ
ん)があったとも評価されていた。 信長は、あらゆる外交の方法
を用いて、わが陣営を守り、広げている。 とくに、1562年、
三河(みかわ)(現在の愛知県の東部)の徳川家康と結んだ「清州
(きよす)同盟」は有名である。 じつは、信長と家康は、父同士が
宿敵の関係にあり、「桶狭間の戦い」で家康は、信長の敵側にいた。
 そうした過去をもつ家康を味方にしたこの同盟は、乱世にもかか
わらず、信長が亡くなるまで20年間、維持された。 信長と家康
は、中部、関西等を舞台に、ともに転戦(てんせん)した。そして、
天下統一への流れが大きく進み、日本の歴史に影響を与えた。

もとより次元は異なるが、2004年から始まった、わが学会の大
関西と大中部の連合は、これまで座談会交流をはじめ、様々な角度
で進んでいる。 常勝・大関西と堅塁(けんるい)・大中部が一体と
なって、広宣流布の完勝の歴史を! この私の心を心として、今、
新しい希望の前進が始まっている。これほど頼もしいことはない。


(つづく)
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聖教新聞2007年5月24日(木)2面
首都圏代表協議会での名誉会長のスピーチ(下)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月13日(木)18時45分24秒

先生の指導から(抜粋)608      [首都圏代表協議会(上)]
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  [◇だれもが等しく仏子(ぶっし)であり宝塔(ほうとう)]


一、さらに、戸田先生の叫びを、心に刻んでおきたい。 「私たち
には金剛不壊(こんごうふえ)の御本尊がある。ゆえに、何を恐れる
ことがあろうか。『魔の挑戦には、身命を賭(と)して戦う』。ここ
に創価学会の使命があることを知らなくてはならない」 「われ自
ら南無妙法蓮華経なりと決めきって、広宣流布することだ」 「御
本尊を信じ、人生を生き切っていけ! これが一切だ。いくら愚癡
をこぼしても、つまらぬ事でくよくよしても、どうしようもないで
はないか。 御本尊に題目をあげて、自分の境遇で、自分の立場で
生ききっていけ!」 まさに、このとおりの大確信で、先生は生き
抜かれた。ゆえに、広布の基盤が築かれたのである。 

また先生は、次のようにも言われていた。 「将来のためにも、は
っきり断言しておく。学会の信心以外に、大聖人の御(お)心に適
(かな)う信心はない。大御本尊の本当の功力(くりき)もない」 
「御本尊に裁(さば)かれることほど、この世で恐ろしいことはあり
ません」 「誰もが等しく仏子である。また、宝塔である。これが、
日蓮大聖人の大精神である。 それゆえに、万人を救うことのでき
る、真の世界宗教といえる。そして大聖人は、全人類を救済するた
めに、大慈大悲をもって大御本尊を御図顕(ごずけん)あそばされた
のだ。 目的は、民衆の幸福だ。 この一点を見失えば、権威のた
めの宗教になってしまう」

      [◇時を逃(のが)すな 陣頭に立て]

一、きょう5月19日は、永禄(えいろく)3年(1560年)、戦
国時代の乱世から天下統一の転機となった、「桶狭間(おけはざま)
の戦い」の日である。 この日、尾張(おわり)(現在の愛知)の若
き織田信長(27歳)の軍勢は、宿敵・今川義元(いまがわよしも
と)を討ち取り、その大軍を打ち破って逆転大勝利した。これを契
機(けいき)に、信長は自らの勢力を大きく飛躍させていったのであ
る。 まことに有名な歴史だ。 この時、駿河(するが)から尾張に
侵攻してきた今川義元の軍勢は、2万余といわれている。 一方、
織田信長の軍勢は、わずか2000。信長側は、敵側の、じつに1
0分の1程度であった。完全な劣勢(れっせい)である。 

では、なぜ、信長は勝つことができたのか。 さまざまな角度から
研究され、論及されているが、そのいくつかを「将軍学」「人間学」
として確認しておきたい。 まず信長は、籠城(ろうじょう)などの
「守りの態勢(たいせい)」ではなかった。あくまで自ら打って出て、
断固、陣頭(じんとう)に立って戦う「攻めの姿勢」で臨んだ。 信
長は、前線からの情報や自分自身の目によって、敵の動きを冷静に
確認していった。 そして、迅速に行動し、ついに桶狭間(現在の
名古屋市緑区・豊明市辺(あた)り)で、今川義元のいる本隊を直接、
攻める機会を得たのである。

信長が大変にお好きであった戸田先生は、「信長の兵法は時をつか
んだものである」と言われていた。 「攻め」の行動が、時をつか
む。「勝利のチャンス」を開く。 そもそも信長は、天下統一への
30年にわたる戦いで、受け身の「籠城戦(ろうじょうせん)」は1
度もしなかった。 むしろ、信長は、敵の領域まで打って出て戦う
のが、常であったという。

        [◇三障四魔に賢者は喜ぶ]

一、御聖訓には、「権門(ごんもん)をかっぱと破りかしこへ・おし
かけ・ここへ・おしよせ」と仰せである。
この、徹底した広宣流布の攻撃精神こそ、学会精神である。

             [◇]

一、吉川英治氏は小説『新書太閤記(たいこうき)』で、迫り来る今
川の大軍との戦いを前に、気概に燃える信長の心境を、こう描(え
が)いている。 「按(あん)じるに信長には、今が逆境の谷底と見
えた。おもしろや逆境。しかも相手は大きい。この大濤(おおなみ)
こそ、運命が信長に与えてくれた生涯の天機やも知れぬ」(講談社)
 さらにまた、主君・信長とともに「桶狭間」を戦った若き秀吉に
ついても、こう描いている。 「どんな濤(なみ)でものりこえて見
せようという覚悟が強(し)いて覚悟と意識しないでも肝(はら)にす
わっている。そこに洋々たる楽しさが前途に眺(なが)められた。波
瀾(はらん)があればあるほど、この世はおもしろく観じられるので
あった」(同)

青春には、そして人生には、大なり小なり、試練の決戦の時がある。
それは、それぞれの「桶狭間の戦い」といってよい。 大聖人は、
必ず三障四魔と申す障(さわ)りいできたれば賢者はよろこび愚者
は退(しりぞ)く」と仰せである。
いざという時に、いかなる「一念」で戦いに臨むのか。これが、決
定的に重要なのである。 すっきりした一念でなければ、戦いは勝
てない。 特に最高幹部は、皆がからっと晴れ上がった青空のよう
な、さっぱりとした気持ちで戦い抜けるように、常に心を尽くして
いくのだ。 清々(すがすが)しい自分を築いていただきたい。

                      ((下)に続く)
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聖教新聞2007年5月22日(火)3面
首都圏代表協議会での名誉会長のスピーチ(上)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月11日(火)22時20分51秒

先生の指導から(抜粋)607      [首都圏代表協議会(上)]
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      [◇広布を推(お)し進める人が尊貴]

一、この常住御本尊とともに、広宣流布の大師匠であられる戸田先
生のもと、学会は大前進を開始した。 翌月には、「慈折(じしゃ
く)−−−「慈悲」と「折伏」の最大の推進力である「婦人部」が
結成。 <6月10日に第1回本部婦人部委員会が開催された> 
さらに「大法弘通」の原動力たる「男子青年部」、「広宣流布」の
永遠の門を開く「女子青年部」が結成され、「大願成就(だいがん
じょうじゅ)への新たな布石が、具体的に一つ一つ打たれていった。
法自(おのずか)ら弘まらず人・法を弘むる故に人法ともに尊し」
である。

いかに偉大な御本尊があっても、黙って座していては、広宣流布は
一歩も進まない。現実に広宣流布を推し進める人が尊貴なのだ。 
その人の生命に、御本尊の大功力(だいくりき)が脈々と流れ通うの
である。 昭和26年の5月19日から、65日目に当たる7月2
2日に、御本尊の表装(ひょうそう)も整い、常住御本尊の奉戴(ほ
うたい)式が、晴れ晴れと盛大に執り行われた。 この昭和26年
は、戸田先生の会長就任の5月3日を起点として、次のようなリズ
ムで勝ち進んでいった。 5月19日(土曜日)=創価学会常住御
本尊が認(したた)められる。 6月10日(日曜日)=婦人部の結
成。 7月11日(水曜日)=男子青年部の結成。 7月19日
(木曜日)=女子青年部の結成。 そして、7月22日(日曜日)
=常住御本尊の奉戴式。

私は、戸田先生の不二の弟子として、その先頭に立った。 まさに、
この65日間は、今日の創価学会の勝利の基盤を築き上げた1日ま
た1日であったといってよい。 今、56年の歳月を経て、不思議
な勝ち戦(いくさ)のリズムで、きょう5月19日を迎えた。 万年
の未来を開くため、勝利そして完勝の大前進を開始してまいりたい
(大拍手)。

    [◇御本尊の力用(りきゆう)は勇気ある信心に]

一、大聖人は、真剣に仏法を信じ、行ずる日女御前(にちにょごぜ
ん)に、こう仰せである。 「此の御本尊全く余所(よそ)に求(もと
む)る事なかれ・只(ただ)我れ等(ら)衆生の法華経を持(たも)ちて
南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団(にくだん)におはしますなり、
是(これ)を九識心王真如(くしきしんのうしんにょ)の都とは申すな
り」
広宣流布に生き抜く、皆様方の生命それ自体が、尊極(そんごく)の
御本尊の当体(とうたい)なのである。 この一点を深く自覚するな
らば、わが生命に「歓喜の中の大歓喜」がわき起こらないわけがな
い。「随縁真如(ずいえんしんにょ)の智(ち)」が流れ通わないわけ
がない。「三世十方の仏(ぶつ)菩薩」が護りに護らないわけがない。
 「此の御本尊も只(ただ)信心の二字にをさまれり」である。

勇気ある「信心」があれば、汲(く)めども尽きない御本尊の力用
(りきゆう)が満ちあふれている。 日寛上人の文段(もんだん)にも、
「我等この本尊を信受し、南無妙法蓮華経と唱え奉(たてまつ)れば、
我が身即(すなわ)ち一念三千の本尊、蓮祖聖人なり」と、断言なさ
れている通りである(「観心本尊抄文段」)。 偉大なる信力(し
んりき)・行力で、偉大なる仏力・法力を、わき立たせていきたい。

             [◇]

一、ここで、御本尊の絶対の功徳の力を教えられた、戸田先生のご
指導を、いくつか確認しておきたい。 「御本尊は、大宇宙の生命
を最も強く結集された当体である。その御本尊と感応(かんのう)す
るから、こちらの生命力も最も強くなるのだ」 「いずこであれ、
御本尊ましますところこそ、最高の聖地(せいち)である。広宣流布
への信心があるところが、仏の国土なのだ。そこにこそ、大聖人の
魂は、おわします」 「我々の五体そのものが、本来、御本尊と同
じなのである。南無妙法蓮華経と認(したた)められた両側に、さま
ざまな菩薩の名が記されている。 それは、我々の生命のなかに、
その菩薩の力があるということなのだ」 「御本尊を中心とした団
結ほど、この世で強く、固く美しい団結はありません」 私たちは
永遠に御本尊中心の団結である。これが、あらゆる広布の戦いの、
勝利の鉄則である。

(つづく)
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聖教新聞2007年5月22日(火)3面
首都圏代表協議会での名誉会長のスピーチ(上)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月10日(月)19時19分11秒

先生の指導から(抜粋)606      [首都圏代表協議会(上)]
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             [◇]

一、首都圏代表協議会の開催、ご苦労さまです。 はじめに世界広
布の偉大なる前進を祈り、一句を贈りたい。 

 師弟不二
  晴れ晴れ勝ちゆけ
     広布かな

ご存じの通り、戸田先生の時代から、ともに広宣流布に生き抜いて
きた、森田一哉(かずや)元理事長が本日、安詳(あんじょう)として
霊山(りょうぜん)に旅立たれた。 先ほども、私は、妻とともに、
懇(ねんご)ろに追善の勤行をさせていただいた。 広布に戦った生
命は、「生(せい)も歓喜、死も歓喜」である。 今ごろは、霊鷲山
(りょうじゅせん)で懐かしき恩師に笑顔で迎えられているであろう。
 尊き広宣流布の闘士のご冥福を心からお祈り申し上げたい。

      [◇世界広布は今、花盛(ざか)り!]

一、「広宣流布」の和合僧の集いほど、楽しく充実したものはない。
「異体同心」の同志の語らいほど、朗らかで清々(すがすが)しいも
のはない。 ここにこそ、久遠の家族の結合があるからだ。きょう
も、大いに語り合いたい。 日本だけではない。 アメリカ、ブラ
ジルをはじめ、南北アメリカ大陸でも、ヨーロッパ、ロシア、そし
て、アジアを擁(よう)するユーラシア大陸でも、アフリカ大陸でも、
そしてオセアニアでも、広宣流布のリーダーたちは、私と同じ心で、
見事なる大発展の指揮を執ってくれている。 皆様方の輝く信念と、
聡明にして尊き行動に、私は心から感謝申し上げたい。 

日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経の七字を日本国に弘むる間(あい
だ)恐れなし、終(つい)には一閻浮提に広宣流布せん事一定(いちじ
ょう)なるべし」と仰せになられた。
まさしく今、この仰せ通りに、日本の広宣流布の晴れ姿とともに、
「世界広布は花盛り」の時を迎えた。 ともどもに、ますます希望
に燃えて、新たな決意と力を漲(みなぎ)らせながら、尊き使命の坂
に挑み、広布第2幕の勝利と栄光の頂上に向って、愉快に登り切っ
てまいりたい(大拍手)。

     [◇「ただの島の長(おさ)ではないか!]

一、日蓮大聖人の御在世に退転した弟子に三位房(さんみぼう)がい
る。 これまでも、折々に語ってきたが、大事な教訓であるので、
きょうは、そのポイントを確認し合いたい。 三位房は、大聖人の
御慈悲で、比叡山に遊学し、京に上(のぼ)った。 そのとき、三位
房は、“ある公家の持仏堂に呼んでいただき、説法をして、面目
(めんぼく)をほどこしました”などと、得意げに大聖人に報告して
きた。 それに対して、大聖人は厳しく戒められた。 −−−日本
の権力者など、
ただの「島の長(おさ)」ではないか。その長に仕え
る者たちに「呼んでいただいた」などとは、なにごとか。「面目を
ほどこした」とは、いったいどういうつもりか。おまえは、師匠の
日蓮を卑(いや)しんで、このようなことを書いてきたのか−−−と
(趣意)。

三位房の報告には、世界第一の仏法を行じる大聖人門下の誇りなど、
いささかも感じられなかった。 それどころか、表向きは師匠を尊
敬しているようであっても、内心は権威の世界におもねり、自分が
偉くなったと思い込んで、師匠をあなどる心があった。 増上慢で
ある。 それを大聖人は鋭く見抜かれた。 一番、師匠にお世話に
なり、一番、師匠に仏法を教わったにもかかわらず−−−。 結局
は、「師匠が中心」ではなく、「自分が中心」であった。「自分本
位」であった。 増上慢は、恩知らずである。恩知らずということ
は道理が分からないということだ。道理が分からないということは、
仏法が分からないということだ。 三位房の本質−−−それは、傲
慢であり、臆病であり、ずる賢(がしこ)さであった。

   [◇「京(みやこ)なめり」への厳しき戒(いまし)め]

一、さらに大聖人は厳しく言われている。 「総じて日蓮の弟子は、
京に上(のぼ)ると、はじめは忘れないようであるが、後には天魔が
ついて正気(しょうき)を失ってしまう」 「京に上(のぼ)って、い
くらも経(た)っていないのに、実名を(貴族風)に変えたというこ
とであるが、狂っている」(通解)
貴族社会と交わり、初心を忘れ、名前を飾り立てて、言葉づかいま
で変わってしまった。なんと哀れな弟子か。 大聖人は、重ねて仰
せになっている。 「きっと言葉つきや発音なども、京(みやこ)な
めり(なまり)になったことであろう。 ねずみがこうもりになっ
たように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京(みや
こ)法師にも似ていず、(退転した)少輔房(しょうぼう)のように
なってしまったと思われる。 言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。
(どっちつかづなのは)かえって見苦しいものである」(通解)

「京(みやこ)なめり」−−−華美(かび)に流され、魔性に生命(い
のち)を食い破られた三位房の姿を、大聖人は一言(いちごん)のも
とに暴いていかれたのである。 三位房が後(のち)に、大聖人の教
えに背(そむ)いて、退転し、惨(みじ)めに死んでいったことは、ご
存じの通りである。 
大聖人は、大慈大悲の御境涯から、もっともっと厳しく叱っていた
ならば、助けることもできたかもしれないと言われている。
ゆえに、増上慢の人間を厳しく戒めていくことは、大聖人の御精神
に最も適(かな)った、正義と厳愛の戦いなのである。

       [◇民衆と共に! 民衆の中へ!]

一、大聖人は、ご自身のことを「遠い田舎の地の者であり、民(た
み)の子どもである」(通解)と、堂々と宣言されている。
自分は、特別な生まれ、家系ではない。「民の子」である。それを、
少しも恥じることなく、むしろ、誇りとされた。 民衆の子である
からこそ、民衆の心が分かる。また、もしも高い地位にあれば、権
力に守られて、あれほどの大難に遭(あ)われることもなかったであ
ろう。 御本仏は、どこまでも、民衆の子として、民衆のなかに分
け入り、民衆の苦しみをわが苦しみとしながら、民衆救済の大仏法
を弘めていかれた。 そのように、わが身をもって、真実の広宣流
布の道を教え残していかれたと拝察されるのである。

          [◇学歴ではない]

一、戸田先生は、「信心に学歴は関係ない」と断言された。 当然、
学問は大事にされた。しかし、学歴などを鼻にかける人間が幹部に
なれば、会員はだれもついていかないぞ、皆がかわいそうだ、と厳
しく言われた。 御書の教えは厳正であり、公平である。
法妙なるが故に人貴(とうと)し」と仰せである。
持(たも)たるる法だに第一ならば持つ人随って第一なるべし」と
仰せである。

大事なのは、広宣流布のために働く人である。 大変ななかで、歯
を食いしばって、妙法のために戦う人が一番尊いのである。 有名
な学校を出たとか、社会的な地位があるとか、そんなことは、信心
には、まったく関係ない。 なかんずく、学会の庶民の力で偉くし
てもらいながら、大恩を忘れ、傲慢になり、最後は裏切って、反逆
していく−−−そんな畜生以下の人間が出たならば、断じて許すな、
その大罪を未来永劫に糾弾(きゅうだん)し抜いていけ、と恩師は厳
命されたのである。「私がいなくなった後(あと)が怖いぞ」「増上
慢に勝手きままにやられるぞ」「それをさせないために、私は厳し
く言うのだ」と。 学会を見下したり、学会利用に走る人間への先
生の怒りは、すさまじかった。それこそ、命がけで叱ってくださっ
た。皆が震え上がった。 学校を出ていても出ていなくても、偉大
な人は偉大であり、愚かな人は愚かである。 このように「人間そ
のもの」を見ていくことが、仏法の眼(まなこ)である。

        [◇師弟の真実を叫び抜け!]

一、「師弟の道」を貫いていくことが、一番賢明な、一番正しい道
であり、永遠の勝利の道である。 私は、牧口先生、戸田先生の真
実を叫び抜いて、その通りにやってきた。 「先生!」「先生!」
と叫んで、三障四魔、三類の強敵と戦いながら、一人、立ち上がっ
て、師弟不二の学会を築いてきたのである。 師弟という車軸があ
ってこそ、異体同心の団結が生まれる。 中心の幹部が、師弟を忘
れ、師弟を軽んじ、その心が、ぶれてしまえば、団結することはで
きない。 信心は心である。「心こそ大切なれ」である。

だからこそ、幹部は、師弟不二を心の底から叫んでいくことだ。 
虚偽や見栄、増上慢は、敗北の道、滅亡の道である。そうならない
ために、断固、責め抜いていくことだ。 破邪顕正(はじゃけんせ
い)といっても、破邪がなければ、顕正はない。 邪悪を暴(あば)
き、邪悪と戦い、邪悪を打ち破ってこそ、顕正はある。 生涯、誉
(ほま)れの師弟の大道を晴れ晴れと歩み抜いていただきたい(大拍
手)。

        [◇人生は闘(たたか)いだ!]

一、フランスの行動する文豪ロマン・ロランは叫んだ。 「生命、
それは絶えざる更新であり、闘いである」(宮本正清訳「民衆劇論」、
『ロマン・ロラン全集11』所収、みすず書房)。その通りだ。 
この生命の最高無上の更新と闘いの軌道こそ、皆様方の「人間革命」
の自転であり、我らの「妙法広布」の公転なのである。 さらにロ
ランは断言した。 「人生は仮借(かしゃく)なき不断の闘いである。
『人間』の名に値する人間であろうとする者は、目にみえぬ敵の大
軍と絶えず闘わなければならぬ」(高田博厚訳「ジャン・クリスト
フT」、『世界文学全集41』所収、筑摩書房) いわんや、広宣
流布は、「仏」と「魔」との間断なき大闘争である。一瞬たりとも
手をゆるめるわけにはいかない。 またロランは記した。 「陰謀
は容赦なく打つべし!」(宮本正清訳「ロベスピエール」、『ロマ
ン・ロラン全集11』所収、みすず書房)と。

そしてまた、ロランは、音楽の大英雄ベートーベンを讃(たた)えて
言った。 「人生というものは、苦悩の中においてこそ最も偉大で
実り多くかつまた最も幸福でもある」(片山敏彦訳『ベートーヴェ
ンの生涯』岩波文庫)と。 一流の魂の次元は、仏法に一致してい
る。 たとえ、どんなことがあっても、師子のごとく悠然と進みゆ
くことだ。断じて負けてはならない。 いかなることがあろうとも、
必ず「変毒為薬」していけるのが、この妙法である。ゆえに何も恐
れることはないのだ。

一、創価大学には、「中央アジアのゲーテ」と讃えられるウズベキ
スタンの大詩人ナワイーの像がある。 <このナワイーゆかりのナ
ワイー市から、名誉会長に「名誉市民」の称号授与が決定。同市の
バフチヨル・ハムダモフ市長から決定通知が届けられている> 大
詩人ナワイーは高らかに語っている。 「自分の中に傲慢さが巣く
う余地を打ち壊した者には、永遠の富が与えられる」 指導者は、
永遠に自分自身の人間革命に挑(いど)み、傲慢を排し、謙虚に誠実
に成長していかなければならない。 増上慢は、破壊であり、破和
合僧であるからだ。 ゆえに、厳重に戒め合っていく以外にない。

       [◇「法華弘通のはたじるし」]

一、きょう5月の19日は、創価学会の常住御本尊が認(したた)め
られた記念の日である。 それは昭和26年(1951年)の5月
19日。今年で、56周年となる。 あの晴れわたる5月の3日に、
第2代会長に就任した戸田城聖先生が、真っ先に請願(せいがん)な
され、そのお心に即座に応えられて、日昇上人が認(したた)められ
た。 なお、私のお守り御本尊は、この昭和26年の「5月3日」
のお認めである。 戸田先生の会長就任の、その日の日付であり、
先生も、しみじみと「不思議だな」と喜んでおられた。 昭和52
年の4月、中部に新文化会館が開館した際には、創価学会常住の御
本尊を御遷座(せんざ)申し上げ、約1年間、同会館に御安置した歴
史がある。 大事な大事な中部の大天地の、広宣流布の進展を、深
く強く願ってのことであった。 その通りに、けなげな中部の友は
戦ってこられた。 今や、堂々たる世界広布の大堅塁(けんるい)と
して、そびえ立っている。

一、この常住御本尊の向って右には、「大法弘通慈折(じしゃく)広
宣流布大願成就」、左には「創価学会常住」と認められている。 
まことに甚深(じんじん)の脇書(わきがき)であられる。 日蓮大聖
人は仰せになられた。「爰(ここ)に日蓮いかなる不思議にてや候ら
ん竜樹天親(てんじん)等天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・
末法二百余年の比(ころ)はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し
奉るなり」

「法華弘通のはたじるし」−−−この究極の深義が、そのまま脇書
に厳粛に刻まれた御本尊が、創価学会の常住御本尊であられる。 
御本仏・日蓮大聖人の大誓願である「大法弘通慈折広宣流布」を、
仏意仏勅(ぶついぶっちょく)の創価学会が必ず必ず成就していくこ
とが、峻厳に刻印されているのである。

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月22日(火)2面
首都圏代表協議会での名誉会長のスピーチ(上)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月8日(土)22時20分21秒

先生の指導から(抜粋)605       [総東京女子部の部長会]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             [◇]

美しき
 心と行進
   女子部かな
 世界一なる
   皆様 幸(さち)あれ

             [◇]

 新世紀
  広布の希望に
    輝(かがや)ける
  女子部がありて
    前進 賑(にぎ)やか


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“新時代の朝日”と輝く総東京女子部の部長会が5月20日、巣鴨
(すがも)の東京戸田記念講堂で開かれた。 池田名誉会長は、次の
記念の和歌2首とメッセージを贈り、祝福した。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月21日(月)1面
名誉会長が記念の和歌贈る 総東京女子部の部長会

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月7日(金)17時15分02秒

先生の指導から(抜粋)604   [ペルー国立 サンマルコス大学]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             [◇]

「人間がなしうる最も素晴らしいことは人に光を与える仕事である」
 南米解放の大英雄ボリバルの不滅の言葉だ。 “太陽の国”ペル
ーに国立サンマルコス大学の礎(いしずえ)が置かれたのは、一五五
一年であった。南米大陸で最古の伝統と格式を誇り、新世界に教育
と学術の大光(たいこう)を贈り続けてきた最高峰の総合大学である。
 私は、一九七四年の三月、この栄光の名門校を表敬した。ゲバラ
総長が招いてくださったのは、大学の構内ではなくして、首都リマ
市内のビルに設けられた大学の事務局である。 世界の大学を、怒
(いか)れる学生たちが震撼(しんかん)させていた時代であった。そ
こに過激派の暴力も複雑に絡(から)んでいた。

会見に向う途中、キャンパスを望む道を車で走った。校舎の壁とい
う壁に、赤や黒のペンキで、政治的な主張が書き殴(なぐ)られてい
るのが見えた。とても中に入(はい)れる状態ではなかったのだ。 
ゲバラ総長自身も、自宅が爆弾テロの標的になったことがあった。
しかし、総長は翌朝、いつもと変わらず大学に向われたという。 
私が訪れた際も、学生食堂の値上げ問題などで、紛糾(ふんきゅう)
していた。それでも総長は、学生の代表と会い、真摯(しんし)に誠
実に対話を続けられていた。どれほど心労を重ねておられたことか
・・・・・・。 臆病者に、真の対話はできない。対話は勇気だ。
 対話は勇者が選ぶ栄光の道である。

          [◇創造的人間たれ]

「大学の使命は、精神的な価値の創造にあります」 「大学の思想
が、幾世紀にわたる文化を生むのです」 ゲバラ総長は、黒縁(く
ろぶち)の眼鏡(めがね)の奥に笑みをたたえ、私たちを大歓迎して
くださった。 創立四百年を超えるサンマルコス大学に比(ひ)して、
この時、わが創大は創立四年目に入る、産声(うぶごえ)をあげて間
もない大学であった。 しかし、ゲバラ総長は、「両大学の目的は
本源的に一つです。わが大学は、創価大学と同じ目的を持つことを
誇り高く宣言させていただきます」と力を込められた。 大学が、
何に力点を置き、何に価値を見出(みいだ)すか。それによって、社
会全体の文化が決まる。ひいては、国家と世界の運命も左右される。
 だからこそ総長は、人間の価値を守るために、学問や科学を使い
こなしていける創造的な人間を育てなければならないと、強く訴え
られた。 そこに創価の人間教育への強き共鳴があった。嵐の渦中
で総長は、厳然と未来を見つめておられたのである。

私が創価大学の建設に踏み出したのも、日本の学生運動が最も苛烈
な時期であった。 「教授と学生の断絶」の問題も率直に尋ねた。
同席のムニョス副総長が応じられた。 第一に「対話が絶えず行わ
なければならない」。 第二に「学生が責任をもって大学諸行事に
参加できる体制をつくるべきだ」と。 私は大いに賛同し、「教育
国連」「世界大学総長会議」などの構想を語った。 議論は白熱。
どこまでも学生を“大学の主役”として、逆風を新たな建設のエネ
ルギーに転換しようとする教師陣(じん)の姿に、英知の大殿堂の強
靭(きょうじん)なる生命力を感じた。

             [◇]

ゲバラ総長とお会いする朝、長旅の疲れか、私は体調を崩していた。
 この時の北中南米(ほくちゅうなんべい)の旅では、行く先々で大
学訪問を重ね、サンマルコス大学は四校目であった。周囲から安静
を勧められたが、私は語った。 「戦いは始まったばかりじゃない
か。世界平和のために途中で倒れるならば本望(ほんもう)だ!」 
あとに続く創大生のため、青年のために、教育交流の道を開きに開
く決心だった。 大学訪問の翌夕(よくゆう)、私の宿舎に思いがけ
ぬ来客があった。 
「御迷惑とも思ったのですが・・・・・・」。私の体調不良に気づ
かれた、ゲバラ総長が見舞ってくださったのである。 「私のごと
き者でも、よい友をもったと思って、いつでもペルーにお越しくだ
さい」 何と深い友愛の心か。 この折、総長夫人は、私を疲れさ
せぬようにと宿舎の玄関で待機されていた。総長のお見送りに出た
私の妻は、その夫人の心遣(こころづかい)いに感涙した。固く包容
し合い、再会を約したのである。

私は帰国すると、創価大学の第四回入学式(四月十八日)で、ゲバ
ラ総長や教授陣から預(あず)かった言葉を新入生に伝えた。“教授
も学生も、大衆と共に歩み、一切の困難を乗り越えよ”とは、その
一つである。 ともあれ、サンマルコス大学の卒業生である、マキ
アベロ駐日ペルー大使が、私に語られた一言が忘れられない。 
「ペルーは、友情厚き“アミーゴ(友人)の国”なのです」 ペル
ーをはじめ全世界に、一人ひとりと結び合ってきた崩されざる友情
が、未来の世代に「平和の文化」のネットワークとして受け継がれ
ていくことを、私は祈りたい。

      [◇心の器(うつわ)を清(きよ)く!]

一九八一年、春雨(はるさめ)の四月十日。この日、桜花(おうか)に
潤(うるお)う東京・小平(こだいら)の創価学園は、第十四回の入学
式に加え、晴れがましい喜びに漲(みなぎ)っていた。 ゲバラ前総
長ご夫妻、ポンス・ムッソ総長の一行が、はるばると来校され、サ
ンマルコス大学の「名誉教授」の称号を私に授与してくださったの
である。 勇壮なペルー国歌の演奏、学園生の「草木は萌(も)ゆる」
の凛々(りり)しき歌声が響きわたった。授与の理由を述べてくださ
ったのは、七年ぶりに再会したゲバラ前総長である。 ポンス・ム
ッソ総長は「2万キロの遠路を越えて、この式典に参加できたこと
は大いなる喜びです」と前置きされ、名誉称号の授与に移った。 
学園の講堂は厳粛な空気に包まれ、ポンス・ムッソ総長から、証書、
メダル、そして決議書を拝受すると、万雷(ばんらい)の大拍手がわ
き起こった。

私にとって、モスクワ大学の名誉博士に続く二番目の名誉学術称号
である。名誉教授としては、第一号となる。 会長の辞任から二年。
世界の知性からの絶対の信頼の表明であった。この栄誉を、わが直
系(ちょっけい)の学園生と分かち合えたことが、私は嬉しかった。
 私は、両先生のご厚情(こうじょう)に感謝しつつ、新入生に「わ
が心の器(うつわ)に、いつも清らかな智慧の水をたたえ、善と悪、
正(せい)と邪(じゃ)をただしく見極(きわ)めよ」と、万感の祝辞を
贈った。 感動の式典が終わったあとには、青空が見えていた。 
本来、名誉学術称号の授与自体が特別の栄誉であり、こちらから訪
問して拝受することが、当然の国際儀礼である。国外で授与式を行
ってくださることは、格別のご厚意による異例中の異例なのである。

わが創価大学も、病床にあるトインビー博士に、名誉教授の称号を
お届けしたのは、特例のことであった。 ともあれ、真心には真心
で、誠意には誠意でお応えする以外にない。 ゆえに私は、名誉称
号の授与のために、世界中からおいでくださるご来賓(らいひん)の
方々や、その大学・学術機関に対し、民衆と平和に貢献する行動を
もって、一生涯、報恩感謝し抜いていく決心である。

             [◇]

サンマルコス大学との友情を源(みなもと)として、ペルーとの交流
は十重(とえ)二十重(はたえ)に広がった。 「民衆の価値を決める
ものは、いったい何か」 サンマルコス大学出身の大歴史家バサド
レ博士は、青年に書き遺(のこ)された。 「それは、人間としての
価値であり、人間が築く文化の資質の価値であり、懸命な心である。
一個の人間の存在の中心にあるものは、まさに心なのである」 
「心こそ大切なれ」だ。 人間を人間として敬(うやま)う心、人間
を光り輝かせる心−−−それが真の英知の証(あか)しである。 一
九八四年、十年ぶりにペルーを訪問した私は、三月一日、サンマル
コス大学の名誉ある一員として、懐かしき友人たちの待つ伝統のキ
ャンパスに迎えていただいた。 

この時、図書贈呈の式典が行われた会場は、かつての学生寮の中に
あった「サロン・デ・グラード」。十九世紀、ペルーの独立後、こ
の学生寮を中心に各学部がつくられ、新生サンマルコス大学の基礎
となった由緒(ゆいしょ)ある建物だ。 大学の原点は、あくまでも
学生である。 サンマルコスをはじめ、ペルーの大学には、「テル
シオ・エストゥディアンティル」と呼ばれる“学生自治会”がある。
直訳すると「三分の一・学生」−−−大学の運営・行政について、
学生が三分の一を担(にな)うという意義だ。実際、総長選挙やカリ
キュラムの企画等にも学生が参加する。 後年、ペルーのリカルド・
パルマ大学から名誉博士号を受章した折、ロドリゲス総長が大学評
議会と“学生自治会”の両方の「顕彰盾(たて)」を贈ってくださっ
た(一九九八年)。

わが創価大学でも、堂々と、「学生主体」を大原則に進んできた。
遠来の賓客(ひんきゃく)に、敬愛を込めて「創価友誼之証(ゆうぎ
のしょう)を贈る伝統も清々(すがすが)しい。 新世紀を迎えたサ
ンマルコス大学は、「未来に開かれた大学」を目指して、希望輝く
新出発をされた。 未来の勝利を決するのは、青年に、時代創造の
熱と力があるかどうか、正義の炎が燃えているかどうかだ。 

かのバサドレ博士が、若人(わこうど)に託(たく)した叫びは、永遠
である。 −−−青年よ、民衆を侮辱(ぶじょく)する輩(やから)を
鋭く監視せよ! 青年よ、民衆を見下す、傲(おご)れる似非(えせ)
学者に、断じて騙(だま)されるな! 青年よ、讒言(ざんげん)や暴
言を隠し持つ輩(やから)の卑劣な正体を、賢く見破れ!


------------------------------------------------------------
※ボリバルの言葉は『シモン・ボリーバル』ホセ・ルイス・サルセ
ド=バスタルド著、水野一監訳(春秋社)。バサドレは「カレタス」
誌2003年2月13日版から。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月20日(日)1面
池田名誉会長の世界の大学への道12
ペルー国立 サンマルコス大学

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:9月6日(木)19時27分42秒
こんばんは。満月です。
渡米してずっと毎朝1時間の唱題を続け、念願のBLS−USイン
ストラクタをとることができました。題目のすごさを実感しました。


先生の指導から(抜粋)603-1     [森田一哉元理事長が死去]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             [◇]

 君 還(かえ)る
  霊鷲山には
    懐(なつ)かしき
  恩師が待つらむ
    笑顔で語れや

------------------------------------------------------------
森田一哉(かずや)氏(学会本部参与)が5月19日午前、慢性腎不
全のため死去した。享年80歳。1942年(昭和17年)入会。
戦後、戸田第2代会長の時代から、池田名誉会長とともに草創期の
青年部の建設に活躍。その後も、総合壮年部長、副会長、本部事務
総長などを歴任、79年から24年間、理事長を務めるなど広布拡
大に尽力した。 池田名誉会長は19日、信濃町の学会本部で懇
(ねんご)ろに追善の勤行を行うとともに、森田氏の功労をたたえ、
和歌を贈った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月20日(日)2面
森田一哉元理事長が死去


先生の指導から(抜粋)603-2        [女子学生部に和歌]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             [◇]

 広宣の
  偉大な使命に
     走りゆく
  秀才(おとめ)の貴女(きみ)を
   諸仏よ護(まも)れや

------------------------------------------------------------
池田名誉会長は、前進する女子学生部の友を讃え、結成50周年記
念の和歌を贈った。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月20日(日)2面
女子学生部に和歌

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月24日(金)14時48分35秒
こんにちは。満月です。
仕事で明日から渡米予定です。
次の投稿は9/4(火)の予定です。


先生の指導から(抜粋)602
      [第二東京を讃う 広布完勝の都よ! 永遠なれ!]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 おお 懐かしき
 多摩池田総区の
 桜ヶ丘文化会館を訪問して
 早くも三十周年−−−。

 さらに
 府中池田平和会館を訪れ
 思い出深き
 「郷土の森・納涼の夕べ」に
 友と参加してから
 二十周年−−−。

 そして多摩川のほとりに
 王者赫々(かっかく)とそびえ立つ
 調布(ちょうふ)総区の
 調布文化会館への訪問より
 十五周年−−−。

 頼もしいことに
 正義の人材の清流は
 一段と生き生きと
 水かさを増しながら
 厳として賑(にぎ)やかである。

  偉大なる
   東京第二の
     婦人部は
   勝利の団結
      日本一かな

 希望の言論・聖教新聞の
 たゆみない推進も!
 コスモス平和大学校での
 朗らかな人材育成も!
 晴天グループ
 太陽グループの皆様方の
 崇高な祈りも!
 女性広報部の方々の
 洗練された渉外(しょうがい)も!
 ヤング・ミセスの
 溌剌(はつらつ)たる行動も!

 本当に頼れる
 第二総東京の太陽の婦人部は
 素晴らしき
 勝利の原動力となって
 動き戦ってくださっている。
 すべてにおいて
 モデルと光っている。

 仏天の加護が
 一段と いやまして
 その方々を必ずや
 護(まも)りゆくであろう。

 「この経を持(たも)つ女人(にょにん)は
  一切の女人に・すぎたる
  のみならず
  一切の男子に・こえたり」
 この御聖訓通りの尊極なる実証を
 打ち立ててこられたのが
 第二総東京婦人部である。

 私も妻も
 その健気(けなげ)な創価の母たちの
 御健康と御長寿を
 御一家の御繁栄を
 ある時は
 車でそっと回りながら
 ある時は
 会館から見つめながら
 そして朝な夕な
 端座(たんざ)して
 深く強く祈り続けている。

  十方の
   諸仏諸天も
      万歳と
   東京第二の
     皆様 讃えむ

 御聖訓には
 「よき弟子をもつときんば
  師弟・仏果にいたり
  あしき弟子をたくはひぬれば
  師弟・地獄にをつといへり、
  師弟相違せば
  なに事も成(なす)べからず」と。

 第二総東京は
 忘恩の「あしき弟子」を
 断じて許さない。
 いな未来永遠に
 寄せつけない。

 戸田先生は師子吼された。
 「師のおかげで
  偉くしてもらいながら
  畜生の如く師恩を仇(あだ)で返し
  踏みにじっていく
  悪逆な連中は
  断じて許すな!」

 師弟の直結においては
 大関西にも決して負けぬ−−−
 これが
 わが第二総東京の
 誇りであり喜びである。

 法華経の嘱累品(ぞくるいほん)で
 師匠に向って、
 弟子たちは
 三度(みたび) 誓いを繰り返した。
 「世尊の勅(みことのり)の如く、
  当(まさ)に具(つぶ)さに奉行(ぶぎょう)すべし。
  唯(た)だ然(しか)なり。
  世尊よ。願わくは
  慮(うらおも)いしたまうこと有らざれ」

 −−−師の心のままに
 弟子は断固として
 広宣流布を成し遂げます。
 師よ ご安心ください。
 心配なさらないでくださいと。

 この師弟の金剛の魂が
 どこよりも強く美しく漲(みなぎ)るのが
 第二総東京の
 誉れの後継の大行進だ。

 この広布完勝の都に
 師弟の太陽が輝く限り
 創価の世紀は
 どこまでも
 希望が躍動(やくどう)する。
 どこまでも
 勝利の道が続いている。

 戸田先生は叫ばれた。
 「善悪に対し曖昧(あいまい)な態度は
  敗北だ!
  悪を放置してはならぬ。
  前へ前へ攻めて出よ!」

 「広宣流布を破壊せんとする
  大悪人と戦い
  権力の魔性と戦い
  そして勝てば
  成仏することができる。
  生命の永遠の勝利である。
  ゆえに大聖人は
  味方よりも強敵が
  人をよくすると
  言われているのだ」

 正義の中の正義たる
 第二総東京の友よ!
 どこよりも一段と強くあれ!

 輝く広布のスクラム!
 賑(にぎ)やかな異体同心の隊列!
 確信に燃える前途が
 あまりにも明るい
 尊き人間と人間のスクラム!
 第二総東京の前進が
 そして
 第二総東京の勝利こそが
 大創価の師弟の大勝利を
 決してゆくからだ。

  不二の城
   東京第二よ
     勝ちまくれ

 二〇〇七年五月十二日午後五時
  創価学会本部・師弟会館にて
        桂冠詩人
          池田 大作

−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月14日(月)3面
長編詩 第二東京を讃う 広布完勝の都よ! 永遠なれ!
池田大作

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月23日(木)20時56分37秒

先生の指導から(抜粋)601
      [第二東京を讃う 広布完勝の都よ! 永遠なれ!]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−

 それ以来
 私は この会館を
 新たな本部と心(こころ)定めて
 全国・全世界の指揮を執った。

 誰も気づかぬ魔の暗躍(あんやく)から
 純真なる第二東京の友を
 厳然と守り抜くため
 獅子奮迅の力で祈り戦った。

 わが真情を
 今は みな知らない。
 しかし十年先 二十年先
 この立川の牙城で刻んだ
 破邪顕正(はじゃけんせい)の歴史を
 仰ぎ見る時が来るであろう。

 御聖訓には
 「悪知識と申すは
  甘くかたらひ詐(いつわ)り媚(こ)び
  言(ことば)を巧(たく)みにして
  愚癡の人の心を取って
  善心を破る」と
 喝破(かっぱ)されている。

 その通りに
 この地の邪僧どもが
 蠢動(しゅんどう)し始めていた。
 提婆達多の如き反逆者と
 結託した一派(いっぱ)の
 陰謀があったのだ。

 ダンテが師と敬愛した
 大詩人ウェルギリウスは叫んだ
 「傲(おご)れる者を
  撃破(げきは)すべきことを忘れるなよ」

 一切の背信の謀略は
 ことごとく撃破した。
 そして三十星霜(せいそう)−−−
 わが第二総東京は
 功徳黄金の小金井(こがねい)をはじめ
 誰人も予想さえしなかった
 難攻不落の正義の砦(とりで)となった。
 世界が喝采(かっさい)しゆく
 勇猛精進の人材群の
 源流となった。

 「法(ほう)妙(みょう)なるが故に
  人(にん)貴(とうと)し
  人貴きが故に
  所(ところ)尊し」

 妙法流布の進展と
 軌(き)を一(いつ)にして
 第二総東京の国土世間も
 隆々たる大発展を遂げてきた。

 三十年前
 第二総東京地域の人口は
 三百十万人であった。
 今では四百万人と増加した。

 創価大学の開学時から
 比べるならば
 学都(がくと)・八王子も
 躍進する特区・町田も
 人口は実に二倍も増加である。

 二十一世紀にあって
 最も人が集まり
 最も発展しゆく地域−−−
 それこそ
 第二総東京であった。

  美しき
   富士の如くに
     悠然(ゆうぜん)と
    幸福光れや
      東京第二は

 梵天・帝釈の勇(いさ)み来(きた)るが如く
 全世界の指導者も知性も
 富士を見つめる
 東京牧口記念会館を
 陸続と来訪する時代が到来した。
 幾多の国家元首をはじめ
 先客万来(せんきゃくばんらい)の賑(にぎ)わいである。
 衰亡する侘(わび)しき邪宗門と
 仏法勝負の実証は
 歴然としていった。

 おお 誇り高き
 「世界の第二総東京」は
 また麗(うるわ)しき
 「地域友好の第二総東京」だ。

 最前線の尊貴な同志の
 勇敢にして誠実な
 聡明にして忍耐強い行動が
 どれほど大きく
 どれほど美しい
 友情と信頼の花を
 咲かせてこられたことか。

 国木田独歩(くにきだどっぽ)は謳(うた)った。
 「要は、誠実に働くのみ。
  其のうちに
  意味あり、希望あり、
  幸福あり」

 十二の黄金の総区が輝き光り
 四十五の和楽と広布の分区(ぶんく)に
 創価の大陣列は整った。
 いずこにも
 広宣流布の優勝の三色旗が
 凛然(りんぜん)と翻(ひるがえ)っている。

 いずこも またいずこも
 私の胸の奥に
 深い深い親愛の心で
 光り輝く第二の故郷(ふるさと)だ。

 昭和二十八年
 大切な会員の厳護のため
 戸田先生の命(めい)を受けて
 奔走(ほんそう)した秋川の天地よ!

 あのわが学会の創立の年に
 初代の牧口先生が訪れた
 そして
 水滸会の歴史も燦(さん)たる
 忘れ得ぬ
 我らの青海(おうめ)の山河よ!

 会長就任を前に
 私が戸田先生の御家族を
 案内した村山には
 いつも
 最強の常勝軍が勢揃(せいぞろ)いして
 待ってくれていた。
 嬉しかった。
 朗らかであった。
 いよいよ待望の
 堂々たる東村山文化会館が
 完成する。


(つづく)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月14日(月)3面
長編詩 第二東京を讃う 広布完勝の都よ! 永遠なれ!
池田大作

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月13日(月)22時32分55秒
こんばんは。満月です。明日から出張予定なので、次の投稿は、
8/21(月)の予定です。


先生の指導から(抜粋)600
      [第二東京を讃う 広布完勝の都よ! 永遠なれ!]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             [◇]

  晴れ晴れと
   第二東京
     勝利あれ
   広布の行進
     世界の模範と

 私には
 どこよりも愛する
 教育と文化の新天地がある。
 それこそ
 わが第二総東京の宝城だ!

 私には
 誰よりも信頼する
 真剣と誠実の同志がいる。
 それこそ
 わが第二総東京の宝友だ!

 私には
 何よりも誇りとする
 勝利と栄光の歴史がある。
 それこそ
 我ら第二総東京の大発展だ!

 ああ 第二総東京!
 それは
 大法戦の春秋(しゅんじゅう)に
 日蓮大聖人も歩まれた
 仏法有縁の大地なり。

 文永八年(一二七一年)の十月
 大聖人は鎌倉街道を
 法難の佐渡へ向かわれた。
 町田へ 府中へ
 そして久米川(村山)へ
 一歩また一歩と−−−。

 さらにまた
 文永十一年(一二七四年)の三月
 身命に及ぶ四年越しの大難を
 厳然と勝ち越えられ
 この麗しき武蔵野に凱旋(がいせん)なされ
 そして鎌倉へ打ち入られた。

 広大なる武蔵野は
 蓮祖の仏眼(ぶつげん)に
 いかばかり鮮烈に
 映(えい)じ刻まれたことか。

 御聖訓には
 「仏・虚空に立ち給いて
  四百万億那由侘(なゆた)の世界に
  武蔵野のすすきのごとく
  富士山の木のごとく
  ぞくぞく」と
 仰せになられている。

 これは
 法華経の嘱累品(ぞくるいほん)第二十二に
 説き明かされた
 附属の儀式の姿である。
 すなわち
 師匠から弟子への
 最も厳粛にして壮大なる
 後継の大舞台をば
 大聖人は
 武蔵野と富士に譬えて
 記し留められたのだ。

 この妙(たえ)なる仏縁の国土の
 尊き因縁を
 創価の初代も二代も
 そして三代も深く拝しつつ
 広々と開かれた
 ここ第二総東京で
 広宣の開拓に挑(いど)み始めた。

 若き日より
 私は心に思い定めていた。
 大好きな武蔵野に
 法華経の会座(えざ)さながらに
 平和の香風(こうふう)がそよぎ
 文化の妙音が響き
 教育の大光(たいこう)が輝く城を
 断じて築きゆくのだ。

 そして
 大聖人の御(お)心に適(かな)った
 地涌の人材の流れを
 万年まで尽きることなく
 この第二総東京から
 起こしゆくのだ−−−と。

  久遠より
   家族の如き
     不思議なる
   命のスクラム
      東京第二は

 それは
 昭和三十一年の夏八月−−−。
 あの超激戦区の
 「大阪の戦い」を
 まさかの大勝利で飾り
 日本中が驚いた
 一カ月後のことであった。

 師に お仕えし
 師を お護りする
 一日の仕事を終えた私は
 新宿から
 中央線の急行に飛び乗った。
 この夜 行われる
 文京支部の八王子地区の
 座談会に出席するために!

 吉祥寺から先は
 多摩地域である。
 作家の国木田独歩が讃えた
 「武蔵野」は
 少年時代から憧(あこが)れの天地だ。

 三鷹(みたか) 武蔵境(むさしさかい)
 小金井 国分寺
 国立 立川
 日野 豊田(とよだ)・・・・・・
 車窓に映る夕暮れの
 町並みや雑木林を
 私は見つめた。
 そこには
 希望があった。
 未来があった。
 輝く未来があった。

 この多摩地域は
 必ず大発展する。
 東京の新天地となり
 広布の大拠点となる。
 いな絶対に
 新たな大本陣として
 栄えさせてみせると決意した。

 八王子駅の北口に
 出迎えてくださった
 実直な紳士が運転される
 「ダットサンセダン」に乗って
 上野町の会場に向かった。
 現在の八王子市民会館の
 すぐ近くである。

 暑いなか
 集(つど)い来られた
 求道の友は七十人。
 戸外(こがい)にあふれるほどの
 大盛況であった。

 一人ひとりから
 質問を聞きながら
 楽しく有意義な座談を進めた。
 不思議なくらい
 人柄の良い まじめな
 信頼できる方々が
 集われていた。

 大哲学者デカルトは言った。
 「『高慢』は、常に
  はなはだ邪悪なものである」
 「最も高邁(こうまい)な人々は、通常、
  最も謙虚な人々である」

 この日 この時
 私は八王子で
 愛すべき同志に
 関西の勝利の息吹を伝え
 法華経の兵法を語った。
 そして
 東京の次なる雪辱戦(せつじょくせん)への
 新たな前進を開始したのだ。

 私は何としても
 この未来性に溢(あふ)れた天地に
 常勝不敗の師弟城を
 大建設することを
 固く誓願していた。

  偉大なる
   第二東京
     ここにあり
   世界の原点
     誇りも嬉しく

 昭和三十五年の春四月
 第三代会長に就任が決まって
 私と妻が
 いち早く足を運んだのは
 創価学園の建設予定地となる
 小平(こだいら)であった。

 富士が見え
 渓流(けいりゅう)が清らかな
 この不思議なる地こそ
 若き英才たちの
 希望の学舎(まなびあ)にふさわしい!
 私の心は高鳴った。

 汗まみれになり
 敷地の整備に
 当たってくださった
 尊き縁の学園総区をはじめ
 神々(こうごう)しき同志の労苦を
 私も妻も絶対に忘れない。

 今や日本を代表する
 世界的な名門校となった
 創価学園
 そして創価大学を
 第二総東京の皆様方は
 陰(いん)に陽(よう)に
 愛し支えてくださった。

 学園生 創大生 短大生
 さらに留学生たちも
 わが子の如く
 慈(いつく)しみ護ってくださる
 ありがたき真心に
 感謝し合掌(がっしょう)しゆく日々である。

  人材の
   大城 厳たり
       不滅なり
     連戦連勝
      東京第二は

 晴れわたる
 昭和三十五年の五月三日
 私の第三代就任と同時に
 三多摩(さんたま)地域で初めてとなる
 武蔵野支部が誕生した。

 私は
 幾重にも宿縁深き
 この第二総東京の
 初代の本部長であり
 永遠の本部長の決心で
 人知れず
 ありとあらゆる手を
 打ち続けてきた。

 ゆえに
 第二総東京の支部長も
 そして婦人部長も
 私に直結する
 誉れの指導者なのである。

 第二総東京を大切にする
 私の心を知る人は
 あまりに少なかった。
 いな皆無に等しかった。
 学園や大学の建設も
 「なぜ あんな田舎に」と
 多くの人が笑った。

 しかし−−−
 「狸(たぬき)が出るような場所」と
 軽んじられた八王子が
 今日では わが創価大学
 創価女子短大をはじめ
 中央大学 首都大学東京など
 二十三もの大学・短大等の
 キャンパスが広がる
 日本有数の学園都市となった。

  師子王の
   如く立ちゆけ
     吼(ほ)えあがれ
    東京第二は
      日本一かと

 昭和五十二年 師走の二十三日
 美事(みごと)に完成した立川文化会館で
 記念の勤行会に出席した。
 この新法城で
 私は第一声として
 「信心で勝ちゆけ!」と叫んだ。


(つづく)
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
聖教新聞2007年5月14日(月)2面
長編詩 第二東京を讃う 広布完勝の都よ! 永遠なれ!
池田大作

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月13日(月)01時13分36秒

先生の指導から(抜粋)599
          [ウクライナ コステンコ前駐日大使夫妻]
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
             [◇]

「たとえ、遠くの親戚とは仲違(たが)いすることがあっても、ご近
所とは仲良くせよ!」 コステンコ駐日大使とリュドミラ夫人が語
られていた、ウクライナの箴言である。 「近隣を大切に!」−−−
これは、人生の智慧である。外交の原点であるといってもよい。 
ご夫妻は、日本駐在中、新宿区信濃町の聖教新聞社のすぐそばに住
まわれていた。お二人と私たち夫婦は、良き“お隣さん”として、
深い親交を結び合った。その一対一の友情が、両国の友好へも大き
く連動していったことは、嬉しい限りだ。 「真の幸福者は、友を
持つ者である」と、ウクライナの大哲学者スコヴォロダが言った通
りである。

       [◇「幸福な人が集(つど)う」]

ウクライナは、わが師・戸田城聖先生とともに深い思いを馳(は)せ
た天地でもある。 先生が、私たち青年に学ばせた名作『隊長ブリ
ーバ』の舞台であり、作者ゴーゴリの出身地であったのだ。 ちな
みに、大空の「青」と大地に実る小麦の「黄」の2色の国旗を晴れ
晴れと掲(かか)げて、ウクライナが独立を宣言したのは、1991
年(平成3年)の8月24日。私の入信記念日でもあった。 日本
との外交が樹立されたのは、翌92年の1月26日。SGI(創価
学会インタナショナル)の発足記念の日である。ひとかたならぬ縁
(えにし)と親近感を覚えた。 大使が初めて信濃町駅に降り立った
時の感想を伺った。 「随分、エネルギッシュで、生き生きとした
人が歩いている。一体、どこへ行くんだろう・・・・・・」。学会
本部の接遇(せつぐう)センターであった。 特に、2000年の9
月にオープンした創価世界女性会館には、「生命が躍動し、幸福感
に満ちた“輝く女性”がたくさん集(つど)っている。しかも、会館
に入る時以上に、出てくる姿はもっと美しい」との印象を抱(いだ)
いておられた。

ウクライナを代表する文学者・詩人として名高いリュドミラ大使夫
人も、「心美しい人、幸福な人が集う王国」と形容してくださった。
外交辞令を超えた、深く温かいご理解が、私はありがたかった。 
信仰の真実は、日頃の振る舞いに表れる。ゆえに「向こう三軒両隣」
から信頼を得たなら、その信仰は本物といえよう。 「立正安国」
といってもどこか遠くにある観念論ではない。今、自分の足元から
始まる現実の実践なのだ。

         [◇文化の交流は永遠]

詩人シェフチェンコ、作家チェーホフ、画家アイヴァゾフスキー・・・・・・。
数多(あまた)の光輝(こうき)ある文豪・芸術家を世に送り出した偉
大なる詩心(しごころ)と文化の大国が、ウクライナである。 その
感性は、いかに磨かれてきたのか。 大使から興味深い話を伺った。
その一因は「異文化との出あい」にあったという。 「わが国は東
西南北を結ぶ通商の十字路に位置していました。ですから、訪れた
諸民族が、少しずつ、自分たちの“面白いところ”を置いていって
くれたのです」 文化の交流が、人間性を豊かにし、新たな創造性
を呼び覚(さ)ましたのだ。 

私も、民衆の心と心が結ばれることを願って、民主音楽協会を創り、
富士美術館を創った。 当初は、皆が反対であった。 しかし、戸
田先生は、よく言われていた。「政治や経済の関係は『力の論理』
『利害の論理』が幅を利(き)かせる。その交流は時とともに変遷
(へんせん)し、いずれ消えてしまうものだ。だから、文化の交流が
重要である」と。 異文化への尊敬は、その国に生きる人々への敬
愛につながる。そこで生まれた友情は、永遠に崩れざる平和の礎
(いしずえ)となるのだ。

         [◇哲学の太陽よ昇れ]

ウクライナの歴史に輝く女性詩人ウクラインカは叫んだ。 「言葉
よ、私は汝を、稲妻(いなずま)の閃光(せんこう)の如く、鋭き剣の
如く育てたかった」「闘うのだ」「言葉よ、くすぶるな、炎と燃え
るのだ」 ウクライナには、この言論の魂が光っている。大使ご夫
妻も、一言一言が生き生きと躍動されていた。 大使夫人の名イン
タビューを受けて、私は、ウクライナの著名な新聞や総合文芸誌に
5回ほど、ウクライナの文化への敬意を込めて、文学論や幸福観、
自然観や宗教論を縦横(じゅうおう)に語らせていただいた。

             [◇]

哲人スコヴォロダは綴(つづ)っている。 「木には根があり、世界
には太陽がある。それと同じように、人間にとっては、心が根であ
り、太陽であり、主人である」 まさに「心こそ大切なれ」である。
大使夫人は、大の親日家として、あえて日本人の精神性に警鐘を鳴
らされていた。 「永遠の問題をあまり思案せず、/すばらしい束
(つか)の間のはかなさを/これほど重んじる国民を私は知らない」
(「日本の国民性」、三輪洋司/トカチョフ・コンスタンチン訳
『夢のように美しい貝殻』高木書房刊) 確かに日本人は、目先の
毀誉褒貶(きよほうへん)に比べ、永遠性の次元に対する関心が薄い。
多くの世界の友人も同じ指摘をされている。 

その原因は何か。端的に言えば、哲学がないからだ。人間として、
いかに生きるか。この根本の思索がない。追求がない。信念がない。
だから刹那(せつな)的で、その場さえよければという生き方しかで
きない。 そうした精神性を転換しゆく学会の運動に、大使夫人は
共鳴されていた。 「創価学会のような、精神的成長を一番の目的
とした団体、人間にとって永遠の問題に取り組んでいる団体を見た
ことがありません」 精神が衰退すれば、社会も衰退する。心の繁
栄こそが、社会の繁栄につながる。日蓮仏法では、「心の一法より
国土世間も出来(しゅったい)する事なり」と説かれている。
光を求めゆく人間の魂に赫々(かっかく)たる“太陽の仏法”を昇ら
せ、社会の闇を鮮烈な“哲学の光線”で照らすのが、わが学会の使
命なのだ。世界の慧眼(けいがん)は、この一点を見つめている。

          [◇正義の確信から]

大使とは、『隊長ブリーバ』をめぐっても語らいが弾(はず)んだ。
 5年間の尊き任期を終え、帰国される際、最後に話題になったの
も、この作品だった。 『隊長ブリーバ』の主題は「勇気」だ。 
「人間として、青年として一番美しい生き方が書いてある」と、大
使は指摘された。 その通りである。青年が勇気を失えば、もはや
青年ではない。 では勇気は、どこから生まれるのか−−−。 
「勇気とは、正義への確信からわいてくるものです。“愛する民衆
を幸福にしたい。人々を抑圧から自由にしたい”。そうした願いこ
そ、正義です」−−−世界の普遍の真理を説いた大使の言葉に、私
は喝采(かっさい)を贈った。 

血を一滴も流すことなく勝ち取った「独立」。約1600発の核弾
頭を廃棄し、世界に先駆け実現した「非核化」−−−近年、人類史
に燦然(さんぜん)たる壮挙を成し遂げてきたウクライナの勝利の源
泉が、大使の一言に凝縮されているような思いがした。 核ミサイ
ルが撤去された跡地に、ヒマワリの花が植えられたエピソードも美
しい。 ウクライナの国民詩人シェフチェンコ誇り高く謳(うた)っ
ている。 「われらの故郷の歌(ドウーマ) われらの歌は/死には
せぬ 亡びはしない。/その歌のうちにこそ人々よ われらの栄光
/ウクライナの栄光があるのだ!」(小松勝助訳「オスノヴィヤン
コに」、平凡社刊『世界名詩集大成』(12)所収) 「われらの歌」
とは「勇気の魂」の響きだ。 歴史をつくるのに、苦難は必然であ
る。だが、勇気があれば必ず勝ち越えていける。栄光の暁鐘(ぎょ
うしょう)を打ち鳴らすことができる。 恩師が『隊長ブリーバ』
を通して青年に打ち込まれた真髄も、「勇気」の二文字であった。
学会は、永遠に勇気で戦い勝っていくのだ。

             [◇]

中国の唐詩(とうし)には、「海内(かいだい) 知己(ちき)を存(そ
ん)せば、天涯(てんがい)も比隣(ひりん)の若(ごと)し」と詠(えい)
じられている。真の友人は、どんなに遠く離れていても、隣り合わ
せのように心が通い合うというのである。 ウクライナで活躍され
る大使ご夫妻との心の「お隣(となり)づきあい」は、今も変わらな
い。 大切な近隣にも、そして全世界にも、ヒマワリの如く明るく
晴れ晴れと、私たち創価の友情と信頼の花は咲き誇っている。


------------------------------------------------------------
リュドミラ・スキルダ
詩人・文学者。ウクライナ・キロボグラード生まれ。テレビキャス
ター、キエフ大学准教授として活躍した。多くの詩集を発刊し、ド
イツ語、ポルトガル語などに翻訳され、数々の国際文学賞を受賞。
日本語訳に『愛と太陽の園』『夢のように美しい貝殻』がある。 
15歳の時、ウクライナの著名な教育者である母タマーラ・スキル
ダ氏から、かつての訪日の印象を聞き、大の親日家に。万葉集や清
少納言、松尾芭蕉などに大きな啓発を受ける。

ユリー・コステンコ(1945年〜)
ウクライナ外務副大臣。ウクライナの首都キエフ生まれ。68年、
外務省に入省。以来、外交官として、駐ウィーン国際機関のウクラ
イナ代表、駐オーストリア大使、駐ドイツ大使等を歴任。2001
年3月から06年5月まで駐日大使。外交政策や国際関係に関係す
る多くの論文を執筆している。 池田名誉会長とは、駐日大使時代
の01年7月、02年1月、04年1月、06年4月の4度、会見
している。
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聖教新聞2007年5月13日(日)1面
池田名誉会長の世界との語らい 第21回
ウクライナ コステンコ前駐日大使夫妻

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月12日(日)00時41分38秒

先生の指導から(抜粋)598
           [埼玉池田研修道場でのスピーチ(下)]
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       [◇忍耐で勝て! 執念で勝て!]

一、民族独立の闘士として戦った大詩人・韓龍雲(ハンニョンウン)
は「私が望む青年とは、持久力のある青年である」と綴っている。
 青年よ、忍耐で勝て! 執念で勝て! というのである。 20
世紀の作家・沈薫(シムフン)は強調した。 「みんなが一つの心、
一つの志(こころざし)で、その力を一カ所に集めさえすれば、どん
なことでも成し遂げることができる」と。 団結は美しい。団結は
楽しい。そして団結こそ力だ。 「異体同心」こそ、絶対勝利の法
則である。「鉄桶(てっとう)の埼玉」の団結は、今や世界中に轟
(とどろ)いている。「異体同心なればか(勝)ちぬ」である。
「鉄桶の埼玉」が勝ち抜いていくことが、仏法の御聖訓の証明なの
である。

          [◇原点を忘れるな]

一、東欧(とうおう)チェコの大統領を務めたハベル氏は、その就任
演説で述べている。 「常に同胞の国民とともにあり、国民の声に
熱心に耳を傾ける大統領になりたい」(井上一馬編著『後世に伝え
る言葉』小学館) ハベル氏は、チェコの民主化を実現した「ビロ
ード革命」の立役者(たてやくしゃ)であった。大統領として来日し
たハベル氏と、東京の迎賓(げいひん)館で語り合ったことが懐かし
い。 <1992年4月> 
 民衆と共に!
 民衆のために!
この原点を忘れてしまえば、もはや指導者の資格はない。 リーダ
ーは、皆の意見をよく聞いていただきたい。そして、皆から好かれ
る存在であってもらいたい。 人の心がわからない。わがまま。そ
んな人間が指導者だったら、皆、どれほど嫌な思いをすることか。
 道理に合わないことで叱られ、文句を言われる−−−それでは、
何のための組織かわからない。

皆さんは、本当の人間性が輝く、慈愛のリーダーであってもらいた
い。そして、異体同心で進んでいただきたい。 ナチスと戦った、
イギリスの首相チャーチルは言った。 「問題は不屈の忍耐をもっ
てすれば解決されるものと確信しています」(毎日新聞社翻訳委員
会訳『第二次大戦回顧録19』毎日新聞社) 「何はともあれ、勝
利を勝ち取らねばならない。勝利こそ、われわれの成し遂げるべき
ことである」 この決心で戦い切ることだ。 また、フランスの思
想家ヴォーヴナルグは述べている。 「勇気の極限は、危難にあっ
て大胆不敵であることである」(内藤濯訳『省察と箴言』創元社)
 大変な戦いの時こそ、勇気を出して、大胆に行動するのだ。

       [◇はつらつと! 理想を胸に!]

一、今月の5日、私は中国・天津(てんしん)社会科学院の先生方を
創価大学にお迎えした。 天津は首都・北京(ぺきん)から近く、
「北方(ほっぽう)経済の中心」として発展を続ける都市である。 
一行は、天津が、周恩来総理が立ち上がった革命の原点の地であり、
北京と一体となって、中国の発展の原動力となっていることを、大
きな誇りとしておられた。 また、明年の北京オリンピックの最初
の協議も、天津から始まる予定とうかがった。 今、埼玉も、首都・
東京に隣接する都市圏として、その存在に大きな注目が集まってい
る。 わが埼玉は、広布発展の原動力である。創価学会の前進にと
って、そしてまた、日本全体の前進にとって、どれほど大事な天地
であるか。 埼玉の勝利が、全首都圏の勝利であり、全学会の勝利
である。

その埼玉の誉れの同志に、周総理が天津の青年たちに語った言葉を、
贈りたい。 「青年は、困難を恐れてはならない。より多くの困難
に挑(いど)み、それらを克服する力を培(つちか)っていくべきであ
る」 「間違ったことには、勇気をもって対峙(たいじ)し、厳然と
正していきたまえ」 さらにまた、周総理は訴えた。 「人間は理
想を持たねばならない。理想なき生活は、進むべき道が見えなくな
る。 人民の中に入って、戦って、学んでいくことだ。そこにこそ、
人生の意義がある」 若い日、天津で活躍したケ穎超(とうえいち
ょう)夫人が、友人に贈った詩には、こう認(したた)められている。 
「あなたよ! 煩悶(はんもん)や苦悩の魔を、毅然(きぜん)と打ち
払うのだ。 はつらつとして、努力し奮起(ふんき)するのだ。 私
は信ずる。 これから、あなたが必ずや、日に日に進歩し続けるこ
とを! そのあなたの姿を、私は何よりの喜びとする。 あなたの
前途に祝福あれ!」 青年部の皆さんが、すべての先頭に立って、
勝利への道を切り開いていただきたい。

      [◇止(と)まることなく堂々と進め!]

一、最後に、敬愛する埼玉の皆様に和歌を贈りたい。

 素晴らしき
  広布の大王
   埼玉と
  蓮祖の誓約(せいやく)
   嬉(うれ)しく果たさむ


 偉大なる
  わが埼玉は
   広宣の
  堂々進まむ
   止(と)まることなく

 鉄桶(てっとう)の
  全埼玉の
   団結は
  楽しく幸福(さち)あれ
    仏のスクラム

威風も堂々と、勇気と希望の大前進を! 「賢者のスクラム」が即
「仏のスクラム」である。 偉大なる常勝埼玉、万歳! どうか、
お元気で! 埼玉の全同志の皆様にくれぐれも、よろしくお伝えく
ださい。 きょうは、本当にありがとう! また、お会いしましょ
う!(大拍手)

                    (2007・5・8)
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聖教新聞2007年5月12日(土)3面
埼玉池田研修道場での名誉会長のスピーチ(下)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月10日(金)20時48分25秒

先生の指導から(抜粋)597  
           [埼玉池田研修道場でのスピーチ(下)]
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      [◇困難は事業の基礎を強固にする]

一、今、私が対談を進めている中国の大歴史学者・章開(しょうか
い)げん先生は、埼玉出身で、近代日本を代表する実業家の渋沢栄
一(しぶさわえいいち)氏を高く評価し、研究を深めておられる。 
中国の文明に深い敬愛を抱いていた渋沢氏が、中国との交流を積極
的に進めていたことも、よく知られる。 この渋沢氏の有名な言葉
に、「社会からよき待遇(たいぐう)を受ければ、それだけ、己の責
任を自覚しなければならない。 その責任をつくさなければ、名誉
はかえって不名誉となり、尊敬はかえって軽蔑を受くるものとなる」
とある(渋沢青淵記念財団竜門社編『渋沢栄一訓言集』国書刊行会)。 
また、渋沢氏は語っている。 「世の中の事はすべて心の持ちよう
一つでどうにでもなる」(同) 「人は消極的に悪事をなさぬとい
うだけでは、物足らないのである。積極的に多くの善事をなさねば、
人たる価値はない」(同) いずれも、大事業を成した人物ならで
はの、重みのある言葉だ。 さらに彼は、「困難の時には、かえっ
て事業の基礎を強固にし、得意の時には、多くの腐敗の因を醸(か
も)すものである」(同)と戒(いまし)めていた。 これは歴史の
鉄則だ。リーダーは、絶対に油断禁物である。

      [◇「足元から努力していくのです」]

一、この研修道場の近辺には、「高麗(こま)川」の清流が流れる。
「高麗」という名前には、奈良時代に高句麗(こうくり)から多くの
渡来人(とらいじん)が移住し、優れた文化を伝えてくれた歴史が留
められている。 「文化大恩」の国である、お隣の韓国でも、わが
同志が最高に晴れ晴れと「5月3日」を祝賀してくださった。  
<韓国を代表する言論団体である「韓国雑誌協会」からは、5・3
「創価学会の日」を記念して名誉会長夫妻に「特別顕彰牌(はい)」
が贈られた。また先月、韓国SGI初の墓地公園となる「平和公園」
が開園した>

今年の3月、創価学園の卒業式には、韓国最大の芸術の大城(だい
じょう)である「韓国芸術文化団体総連合会」の李城林(イーソンリ
ム)会長をお迎えすることができた。 李会長は、師匠を最大に大
切にされ、報恩の人生を貫(つらぬ)いてこられた。韓国伝統の「国
楽(こくがく)」の女性歌手、また舞踊家としても大変に有名である。
 この李会長は語っておられる。 「本当の勝利、それは、自分自
身との戦いに勝った人にこそ、訪れる」と。 まことにその通りで
ある。 学会も常に、全国、全世界を晴れ舞台にして、婦人部、女
子部の清々(すがすが)しい勝利から、勝利また勝利の勢いが加速し
ている。 また、18世紀から19世紀にかけて生きた女性詩人で、
書画家(しょがか)でもあった姜靜一堂(カンジョンイルダン)は述べ
ている。 「先ばかり求めていては、徒労(とろう)に終わってしま
います。まずは、足元から努力していくのです」 万般に通じる道
理だ。千里の道も一歩からである。その一歩また一歩を、着実に、
誠実に積み重ねていく人生が、最後は必ず勝つのだ。

        [◇闘争精神を受け継げ!]

一、次に、青年部に贈りたい。韓民族の独立の指導者・呂運亨(ヨ
ウニヨン)の叫びである。 「倒れてもまた起き上がって戦う闘争
精神は、青年が受け継がなければならない精神である」 うれしい
ことに、不撓不屈(ふとうふくつ)の学会精神を厳然と受け継ぐ、わ
が埼玉青年部の活躍も、まことに目覚しい。 呂運亨(ヨウニヨン)
は、厳しく戒めてもいる。 「有利な時には正義を口にし、不利な
時には裏切るとはとんでもない」 大聖人の滅後、日興上人の時代
には、五老僧がいた。彼らは高弟(こうてい)でありながら、肝心な
時に、愚かにも権力を恐れ、権威におもねった。そして、師が打ち
立てた正法を歪(ゆが)め、踏みにじった。 

次元は異なるが、牧口先生、戸田先生の時代も、卑劣な背反(はい
はん)者が出た。 ゆえに、戸田先生は晩年、繰り返し、“第3代
を中心に団結せよ”と語ってくださっていた。「第3代は、第2代
よりも、もっと大きな仕事をするよ。いいかい。みんなで、第3代
を大事にするんだぞ!」と。 これは当時の最高幹部がよく知って
いることである。 この戸田先生の遺言のままに、第3代の推戴
(すいたい)に、真っ先に立ち上がり、声を上げたのが、埼玉青年部
であった。


(つづく)
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聖教新聞2007年5月12日(土)3面
埼玉池田研修道場での名誉会長のスピーチ(下)

mangetsuさんsgi@jp.daa.jp書き込み:8月9日(木)23時59分19秒

先生の指導から(抜粋)596
           [埼玉池田研修道場でのスピーチ(下)]
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             [◇]

一、この5月の3日「創価学会の日」を、アレキサンダー大王との
縁(えにし)も深き、欧州マケドニアの最高峰の知性の方々も祝福し
てくださった。「オホリッド・ヒューマニズム・アカデミー」の一
行である。 光栄にも、マケドニアのグルエフスキ首相からは、丁
重(ていちょう)な招聘(しょうへい)をいただいている。 今回、来
日された同アカデミーのプレヴネス会長は、若き日、ロンドンの書
店で、歴史学者のトインビー博士と私との対談集を、たまたま手に
された。 そして対談集を読み、深い感銘を受けたことが、SGI
(創価学会インタナショナル)の存在を知った最初であったと述べ
ておられた。 『生命を語る』のマケドニア語版が出版された際に
は、著名な小説家でもあられるプレヴネス会長が、まことに格調高
い序文を寄せてくださった。 <マケドニア語版の『生命を語る』
は、出版以来、各界で大きな反響を呼び、ベストセラーとなってい
る>

      [◇創価の対話運動は歴史つくる力]

一、会長は、その序文のなかで、私たちが進めてきた対話の運動に、
世界の歴史をつくり変えていく力があると讃(たた)えてくださって
いる。 
<プレヴネス会長は序文で、現代世界において世界平和に貢献した
人物として、「池田氏に比肩(ひけん)し得(う)る人物は、まず見当
たらない」と述べる。 さらに「(池田氏と世界の数多くの指導者
たちとの会談は)現代のすべての人々にとって参考になる重要な出
来事であり、これを知らずして現今の世界史の再構築は考えられな
い」と評価している>

2300年前、アレキサンダー大王が人類融合への扉を開いたごと
く、私たちの行動が、壮大なる人類史の新たな扉を開きゆくことを、
大王ゆかりの地(ち)の知性が期待し、信頼してくださっているのだ。

          [◇師弟不二で立て]

一、アレキサンダー大王は「いかなる急場にもみずから艱難辛苦
(かんなんしんく)を引き受けて味方を励まし助けることを常(つね)
としていた」という(鶴見祐輔訳『プルターク英雄伝6』潮文庫)。
 ここに、指導者の要諦(ようてい)があるといえよう。

             [◇]

一、若き日、私は弟子として、師匠である戸田先生に徹して仕えた。
 戸田先生の事業は破綻(はたん)し、膨大な負債を抱えた。先生は
学会の理事長を辞任。明日をも知れないという、絶体絶命の状況だ
った。 多くの人間が先生のもとを去っていくなかで、私がただ一
人、先生を守り抜いた。 厳しい闘争のなかで、真夜中に戸田先生
から呼び出されたこともあった。私は、飛ぶようにして駆けつけた。
 師匠を守る。師匠のために、わが身を捨てて戦う。そうしてつく
りあげたのが、今の創価学会である。

私は、働いて働いて、働き抜いた。戸田先生の借金も、すべて返し
た。折伏でも、どんな拡大の戦いでも、すべて最高の結果を残し、
広宣流布の道を切り開いてきた。 牧口先生、戸田先生は、軍国主
義と戦って牢獄まで行かれた。 私も、無実の罪で牢獄へ行った。
想像を絶するほどの迫害と中傷を受けてきた。ありとあらゆる悪口
(あっこう)を浴びてきた。 牧口先生、戸田先生の後(あと)を継ぎ、
私が一人、すべての矢面(やおもて)に立って戦ってきた。 一切を
なげうって、学会を守り、尊き同志を守り抜いてきた。そして、こ
こまで学会を発展させたのである。 御聖訓には、こう仰せである。 
良い弟子をもつならば、師弟は、ともに成仏し、悪い弟子をたく
わえるならば、師弟は、ともに地獄に堕ちるといわれている。師匠
と弟子の心が違(ちが)えば、何事も成し遂げることはできない」
(通解)

仏法の根本は「師弟」だ。真実の弟子であるならば、師匠のために
体を張ってでも戦うのだ。師の勝利を祈り抜いていくのだ。 それ
を、敵に対して本気になって戦わない。見て見ないふりをする。そ
んな情けない弟子、ずるい人間であっては絶対にならない。 大き
く心を開いて、本当の高次元な創価学会の精神に立って戦うことだ。
「師弟不二」で戦いきることだ。 「師弟」がなくなったら、学会
は壊されてしまう。 幹部が先頭を切って、師匠の正義を訴える。
師の真実を、日本中に叫び抜いていく。そういう埼玉をつくっても
らいたい。 師弟直結の大埼玉を、皆さんの力で断じて築いてもら
いたい。

          [◇悪を打ち破れ]

一、戸田先生は恩知らずに対しては、それはそれは厳しかった。こ
う指導しておられた。 「ひたすら現在の世相を見るに、人の道た
る知恩・報恩の者が、ごく稀(まれ)である。ここに、社会の乱れが
生ずるのである」 「恩を報ぜぬということは人間の特権を放棄し、
禽獣(きんじゅう)に同ずることである」 そして先生は、学会の大
恩を踏みにじり、和合僧に弓を引く人間とは、徹底して戦えと厳命
されたのである。 これまでも、学会のおかげで社会的な地位を得
ながら、傲慢になり、ついには反逆していった人間がいた。 ゲー
テは述べている。 「愚昧(ぐまい)な、狭量(きょうりょう)の連中
こそ、だれよりも威張りたがる」(生野幸吉訳「西東詩集」、『ゲ
ーテ全集2』所収、潮出版社) 愚かな人間に限って、すぐに威張
り散らし、人を見下すものだ。こうした人間を絶対に許してはなら
ない。

イタリア・ルネサンスの大詩人アリオストは叙事詩で綴(つづ)った。 
「ああ、哀れなるかな、邪悪な輩(やから)に長きに渡り、唆(そそ
のか)されて、苦しみに引きずり込まれる者たちよ」(脇功訳『狂
えるオルランド(上)』名古屋大学出版会) 悪は放置すれば増長
する。皆、だまされてしまう。悪人と戦わなければ、学会が破壊さ
れてしまうのだ。 「破邪顕正(はじゃけんせい)」といっても、あ
くまで「破邪」が先である。まず悪と戦い、悪を打ち破るのだ。 
それでこそ「顕正」がある。悪を倒してこそ、初めて正義を明らか
にし、宣揚することができるのである。 「破邪」が根本であり、
その次が「顕正」だ。この方程式を、深く胸に刻んでいただきたい。

戸田先生は、こうも言われていた。 「忘恩反逆の提婆達多(だい
ばだった)は、一切の悪人を集めても、釈尊の仏法には適(かな)わ
ないという証拠を残して、仏罰を受けて死んだ」 日蓮大聖人の正
統(せいとう)である創価学会に仇(あだ)をなした、提婆のごとき輩
が、哀れな末路をたどっていることは、皆様がご存じの通りだ。 
「正義の埼玉創価学会は、すべてに勝った!」と申し上げたい(大
拍手)。


(つづく)
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聖教新聞2007年5月12日(土)2面
埼玉池田研修道場での名誉会長のスピーチ(下)



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